nekohirokoroom335の日記

何がなんでも楽しく生きるって決めたのだ。

お久!

私は元気に生きてる。死にたいって思う気持ちは少なくなった。

躁状態かもしれないが、半年経過すると大体の物事は上向きになると分かってきた。

今年は夏に軽井沢と三島、秋(ついこないだ)に長瀞に行った

旅行を3回してきて、なんとなく死にたい気持ちが薄らいだ。

気分を切り替える、環境を変えてリフレッシュする、という技を身に着けたので

例えば家の中で「死にたいな・・・」といつもの希死念慮が訪れても「散歩してみようよ!」「料理してみようよ!」と自分を奮い立たせたり、「まぁまぁ、お茶でもしましょうよ」「ウーバーイーツでモスバーガー頼んじゃおうよ」とかいろんな前向きな別の自分がいて、その行動を実行すると本当に気分がじんわりと落ち着いたりする。

そういう気分の切り替え方法が見についた。

 

あと、美味しいものも沢山食べた。1人で高級焼肉も食べた。そうすると、「おいしもの食べたから頑張ろう!」とか、健常者みたいな発想になってくる。

健常者と精神異常者との違いは、落ち込んだ時に建設的なストレス対処法を取れないこと、取ったとしてもそれが上手く機能しないことだと思う

人によって対処法は様々だけど、私の場合は自然に触れること(長瀞の水はきれいだった)、植物を育てること、たまに料理すること、散歩することとか、そんな感じ。

 

一人でいろんなところを旅行できるようになった。今度は飛行機に乗って瀬戸内海、宮崎のプロペラ線に乗りたい。

 

彼氏の命日忘れるようになってしまった。いいことなのだろうか。

 

体重は減ってない。でも痩せる気がする。

 

たまにs先生やマダムをいじめたことに関して、申し訳ないことをしたと深く後悔して死にたくなる時があるけど一過性のものだったりする

あとは自分が不治の病で死ぬんじゃないかと思ったりする

SCできるんだろうか・・・。

5年後、自分は何しているんだろうか。

でも今リハビリ中だから楽しいことどんどんやろう。

旅行じゃなくても近所の散歩でもいいね。植物園とか。

リハビリの期間の終了目安は、セラピストに聞いてみよう。

旅行はお金が多少かかるから、かかりにくいもので遊ぼう

料理かなーやっぱり。あとは・・・あーやっぱり旅行に行きたい!

 

楽しいことでワクワクできるって本当にありがたいことだと思った。

身体も、心も、経済もある程度潤ってないとね。

 

最近カウンセリングの効果を感じられるようになってきた

 

お化粧も最近するようになった。

 

 

 

母親に「家賃もろもろ払ってもらっているのが申し訳ない。2年契約の新居を住み終えたらおじいちゃん家に帰りたい」と言ったら「あと5年は東京で頑張れ。親の援助が少なくなればそれでいい」と言われた。ありがたいけどそんな結果はでるのだろうか、やるしかないのだろうか。

スクールカウンセラー出来る気がしない。

ゼミの先生から共著で論文書かないか、と誘われた

嬉しい、やさしい

でもちゃんと書けるのだろうか

前籍のゼミでも論文すら読まずに連名してもらった。

働けない。

自分は成長しているのだろうか

焦るばかり

動き出さなきゃいけないのがしんどい

でもリハビリだからゆっくりやればいいのかな

誰も私のことを理解している人はいない気がする

心理士も微妙、8割ぐらいかな

親もわかってくれてるけど焦ってる感じがする

 

ゆっくり温泉でも入って休みたい

休めない感覚がある

目の前の不安よりその課題をやり遂げた後のメリットを考えたほうがいい

 

ピラティス再開してみようかと思ってる

楽しそうだから。

久しぶりにピラティス教室の近くまで歩いたら「そのまま教室いけるじゃん!」と思った。頑張ってみたい。

 

怠けてないで、頭使って、楽しく生きたいわ

私の目標はかわいく生きることだからねー。

痩せてる頃の自分かわいい

もう一度自分を取り戻す

あと9kg落ちれば大丈夫

やってみようと思う

 

あったかいご飯食べたいな

かもめ食堂よかった

とりあえず何も考えないでぼーっとしてみる時間って大事だと思った

大体のことは美味しいご飯とたっぷりの休息でよくなる

自分はそういう休息できる感覚が持てない、休息する術を持っていない

急にストレスがかかるとダウンしてしまう

一回飲み込んで、家帰って寝てリフレッシュみたいないのできなくなっちゃう

神経が過敏になっちゃう

スイッチが入っちゃって、コントロールできない。火花が散るみたいな感覚

それって怒っちゃうときもそう。どうしたらいいんだろうか。

事前にコントロールする、予防策みたいなのが取れない。

ということは予防できず人に迷惑かけて謝るしかないのか・・・。

「どんっ」っていう衝撃音が私にとってしっくりくる表現。

どんって落ち込む。どんって上がる。

友達と花火してて「どんっ」って感じの勢いある花火が私には似合うと言ってくれた

それが自分らしいのかもしれないが、それを人に迷惑かけない形で表現できないか。

 

配信者2人(あむちんとバファリン)がコラボしててあむちんに対してバファリンが「お前の顔かわいいわけないだろ」と発言したら、あむちんが笑いながら「おぉー!!(笑)お前の息キムチ臭いんだけど」と言い返して素敵だなと思った。

ユーモアあるし、「謝れ」って言わないし、いい感じにやり返してるし。

「おぉー!!」って面白がれる、いったん面白がるみたいな精神大事なのかもと思った。人が嫌なことをしてくるってコントロールできないから。

今の私のテーマは「コントロールできないものをどう対処するか」になってると思う。

「死にたい」は変化してきている。というか死にたくないもん。死に向かうことはコントロールできないことを放棄すること。生きる方向に向かうのは上手にコントロールすること。と思っていたが、最近はコントロールできない波みたいなのにサーファーみたいに楽しんで乗るだけだと思ってきた。コントロールできないもの=人生だとしたら「人生にどう対処するか」であって、生きようとしている。明確に生きようとしている。あとは大丈夫だ。死ななければ楽しく生きられる。30年間死にたいと思っていた私が「生きたい」と思えるようになったことは、それだけでもとても成長しているのだ。

 

村上春樹の小説も読んでみたくなった

これから本屋に行って買ってこようかな

いや、明日にするか

 

いろんな作品や芸術、文学に触れたいなと思った

・感情がコントロールできない

人に八つ当たりしたりしつこく追及したり怒ってしまう

・体調をコントロールできない

意図しない体重減少、発作的なめまい

コントロールできないものばかりだけど

抑えていきるより自分らしく感じる

コントロールしなくていい、今できることを一歩一歩やるしかない、そういうお告げだと思った。

今できることを一歩一歩・・・。

 

きっと病気になって美味しいもの食べられなくなる日が来るんだから

それってコントロールできない=死だと思った

死に近づいている。でも死とともにある、死は喪失。喪失とともに生きたほうがいいのかもね。目標が大きすぎたかもしれないが、自分は働けないのだと自覚した。

死にたいけど自分ができることをコツコツ・・・。

勉強のコツコツ(論文を集めてアンダーライン引く)とか、そういうのは出来てたけど、今は生きることのコツコツさが足りないのかもしれない。足りないというかお勉強中なのかも。コツコツっていうのがよく分からないけど、現実的で地に足ついているというか、具体的で今日これやろう!っていうのが可視化されている状態。国会図書館行って論文30件集めよう、とかそういう地に足ついた感覚。自分は「博論書く」っていう現実離れした遠い目標から、論文30件集めようっていう現実的なところにいるんじゃないか。

とすると、「30万稼いで自立した大人になる」は非常に厳しいのではないか。

レシピがないと不安になる

論文の分析は本読めばできた

それが今ではリアルな世界ではできません

よくわからないことだけど怒ったり人に迫っていくような感情は、人に交渉する、分かってほしい、とかこうしてほしいという要求であって、それがある程度見についてないと、地に足ついた感覚ってないんじゃないかな。

人って欲求を言いすぎるか、我慢しすぎるかのどっちだから、「まぁいいか」「大した問題ではない」って思えることって大事なのではないか。

でも働けない。

すごい神経使うし処理速度が遅いから仕事が間に合わない

喪失というか、喪失を受け入れる段階の途中なのかしら。

人をコントロールできない=他者をコントロールできない、のはずなのに、

なぜか他者をコントロールしようとしている

でもよく考えたら彼氏みたいにあっけなく死んじゃう人だっている

よくわからない。

働けないっていうのは処理速度の遅さと神経の過敏さからくるもので

まぁいいや

頑張って、コツコツ休もう

コツコツ休むためには、自分のできる範囲で今日はこれやろう!って楽しく生きることだね。コツコツ生きられない自分が悲しくなってきた・・・

引っ越し疲れた

何もできない

心理士に相談したほうがいいのだろうか

今急に思い立って面接の予約お願いしますと心理士にメールした

 

母親に引っ越しの手伝いで来てもらおうと思う。

自分の力だけじゃ無理だ。

 

kyu君にラインで「私のこと好き?」とラインしてしまった

好きなわけないのにね。東出さんが杏に好意を持てなかったのと一緒だよね

しつこく℡、line、を繰り返してしつこくしつこく・・・・。

ザ・アタオカ

こういう自分、寝てない時に起きるか、新しいイベント等で疲弊していることが多い

yuちゃんと今度飲みにいくけどちゃんとこなせるか不安だ。

 

オトコの人とうまく関われない

別におことじゃなくても弱者とか関係の近しい人(年寄りとか無職とか元カレとか)にヒステリー起こしてしまう

気を付けたいなと思うけど

きーきーしている人に近づきたくない

自殺したくなっちゃう

 

どうしたらよいのか

疲れているのか、体重が2日間で1キロ痩せてた

彼氏が亡くなった時は2キロぐらい痩せてたけど

そのぐらいか

s先生に沢山寝ろと言われたが、ちゃんとすでに寝ている。

ここ最近の私はめまいに襲われながらも五苓散を飲んで体重が1kg痩せて大喜びしたり、わりと芯がしっかりしている気がする

安藤裕子の曲だけじゃなくアップルミュージックに入っているすべての曲をシャッフルしたらsyrup16gの「明日を落としても」とかいろんな懐かしい曲が流れてきた

あの時は高校生?か大学生初期だったと思うが

透明人間のようにただただつらい時期をやり過ごしてきたと思う

今は主体性を持って生きるようになった

もちろんマダムやsw先生のことをいじめてしまうんですが・・・

主体的に生きると何がいいこと待ち受けているんだろうか

s先生はSCをやると給料がいいから食っていけると言われたが

そんなことできない けどやってみたい気もする

検査のバイトして学校現場に行くけど、自分でもできそうな気もする。

やってみようかなぁと思ったりもする

 

自分には週3の勤務しかできない

単価のいいバイトしかできないからなぁ

 

自分にはできないことが多すぎる

でもできないことを言い訳にして死にたいと思うのはもったいない

何か公表してよくなる?

 

自殺したいと思う気持ちと、もったいないと思う気持ち両方ある

コープで買ってきたお惣菜が美味しいと嬉しくなる

そういった些細な幸せで生きていられる気がする

だからもうちょっと頑張ろう、頑張らなくてもいいからちょっとずつ階段上ろうと思う。

今は休憩中?

なんでかわからないけど疲れているんだと思う

いまから急に働けと言われたら心が苦しくなってしまう

日常のちょっとした幸せとか、楽しいこととかそういうのを脳にインプットさせて、休んだ感覚をちゃんと味わって、生きていることが楽しいって思えるようになりたい

死生観が狂ってしまう

まず彼氏が亡くなったというショッキングな事柄で、近しい関係を結ぶほど、いとも簡単に関係が崩れてしまう体験をした

これは心理士として結構ダメージでかい

前向きに暮らすというのは喪失を抱えながら生きていくことなんじゃないか

これから先親も死ぬだろう

skmt先生もhsgw先生もみんな死んでいってしまう

その間に自分は楽しい体験を積み重ねて、生きていかなければならない

心理士が死んじゃう間に自分は元気になれるんだろうか

不謹慎だけどそんなことを考えている。

あと1年ぐらいでよくなると思う

全ての事柄が、良くなる

そんな気がしている

痩せたら健康的になれる

可愛くなる

素敵な人が現れる

仕事がもらえる

健康的な人のところに健康的な人が宿る

自分の魂を大事にしてあげてね

 

さぁ今日はどこへ行こう

近所のカフェかなぁ・・・。

なんか無性に泣きたい気持ちがする

めまいがやや残っている

日曜日の安藤裕子のライブまでになんとか治ってほしい

 

自分は生理とかめまいとかいろんなものに振り回されている。

ここ一週間そんな感じで、誰にも相談できない、頼る人がいないのもつらい

めまい症も母親と同じ病気だったが、母親は吐き気と下痢も同時に来て最悪と言っていたのでいつかそうなるのではと不安

自動車運転もやめようと思った

 

できないことが一つ一つ増えていって、カウンセリングに相談してもしょうがないとおもうようになった

できないことが沢山あるから。それはもうしょうがない。あとは身体に気を付けて生きていくだけ。でもそれも難しい。

障害者年金もらって生活するようになってしまうのだろうか。すごく怖い

やりたいことができなくなってしまうのではないかと思う。

病気とうまく付き合うって、感情のコントロールだけじゃなくてめまいとか、月経痛とか、いろんなものと闘わなきゃいけない。

いろんなものに振り回されている、まさにめまいの感覚に近い

生きているとしんどいことが沢山ある。

つらい。パートナーがほしい。さみしい。死にたくない。