nekohirokoroom335の日記

何がなんでも楽しく生きるって決めたのだ。

博論やらなきゃ

博論やらなきゃモードにようやくスイッチが入ろうとしている。

夏休みが長すぎた。

でも、友達と楽しく遊んでる。昨日は大学時代の友達とローラースケートしに行って、ご飯食べてきた。

今までこういう専門家以外の人たちというか、ふつーに学校で仲良くなった友達とご飯行ったり遊ぶことなんてほとんどなかったので、なんかめちゃくちゃ楽しかった。

ご飯の最中、私が「組織で働くの向いてない。ブログで食っていきたい」と言ったら、「めっちゃいいじゃん。○○ちゃんの文章面白そう。向いてると思う!!読んでみたい!」と話してくれた。

すごく嬉しかった。

どんなカウンセラーより、どんな占い師よりも、信頼してる身近な友達や家族に「向いてる」「いいね」って言われると素直に嬉しいし頑張ってみようと思う。

もちろん仮に友達に否定されても好きだからブログ書くと思うんだけど、自分の思想やそれに基づいた行動を「いいね」って心から思ってくれてる感じがして、よかった。すごいよかった。「いいね」ってさらっと、カジュアルに言ってくれる感じが、また素敵だった。

 

話が変わって、その友達(29)が「30歳になるのが全然怖くないし楽しみ。20代の頃はカジュアルに“死にたいな”って思ってたけど、今は“生きててよかった”って思う」って言ってて、うんうんと深く頷いた。そしてこういう会話が出来る関係性とか年齢まで生きられたことがすごく嬉しく思った。私たち似てるかもしれないな、と思った。あとは、その友達が「自分は根暗だとずっと思ってたけど根明なのかも」と言っていて、「そうだと思う!根っこの部分はすごい明るい子だと思うよ!」と言ったら、その子も嬉しそうにしていた気がする。そういう、友達同士の「いいじゃん」「○○はこういうところあるよね」みたいなやりとりがすごく嬉しいかった。何回も言うけどめっちゃ楽しかった。カウンセリングに行くよりずっとずっと、健康的な会話だと思った。

 

自分はずっと専門的なケアを受けているし、また心理士としてケアをする側にいるけども、こういう日常の中で関わる友達や家族や、近所のカフェやご飯屋さんや、ごみ出ししてくれるマンションの管理人さんや、いろんな人たちが私を支えてくれてるんだなって本当に思った。些細な一言や声掛けがどんな心理士よりも心の支えになることもあるんだなって思った。

 

よく小さい子とのカウンセリングを進めていくうちに「今日は友達と遊ぶからカウンセリング行かない!」と、カウンセリングが次第に中断or終結になるケースがあるんだけど、それは本人が日常の生活の中で友達とうまくやれてたり、楽しく過ごせるようになったと解釈できる。それと一緒で、段々と私も専門家へ頼るだけではなくて、日常の生活の中にいる支援者とともに生活できるようになったのかもしれない。

それは、すごくいいことかも。

 

高校とか大学時代に仲良くしてた友達と再会したいなって思うようになってきた。

みんなに会いたいな。私を形成してくれたサポーターだから。