nekohirokoroom335の日記

何がなんでも楽しく生きるって決めたのだ。

どっしりとした花器のようになりたい

①私の現状報告

主治医に「博論がプレッシャーで全然進まない」と話したら、「本当はいつまでも大学に残りたいんじゃないのか?将来のプランは考えてるのか?」とまるでお父さんみたいに語りかけてきて、怖くて泣いちゃった(笑)

でも、まぁ博士号取得はあくまで通過点で、そこから自分がどうしたいのかを考えるのはとても大事なことだ。ただ、今はそんなこと考える余裕はないので、とにかく博論の進捗を生むのと、いろんな勉強会に顔を出してコネクションを作ることが大事だと考えている。今、とある先生の勉強会に参加してるけど、すごい楽しいよ。なんか、別にコネを作るというよりも、単純に勉強をみんなで出来るのが楽しい。私はずっと集団で何かをするのが不得意だったんだけど、少しずつウェブ形式とかで身体を慣らしている最中だったりしますね。こういうのもコロナだからこそ達成できたことの一つかもしれない。まぁそんな感じで将来の不安を抱きながら前に進んでいきたい。自分は絶対ハッピーになれる。

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30歳にもうすぐなる。あともうちょっと寝たら30歳(笑)

あっという間だし、もうすぐ夏が終わって明日は立秋じゃないですか。

さっきまで夏だったじゃん。なんで、早くない?

こないだ植物園に行ったら、トンボが飛んでたよ。立秋前から秋を感じてしまって、妙にセンチメンタルな気持ちになった。

あっという間に大人になってしまった。

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②原爆から考える“怒り”との向き合い方

今日は原爆の日だけど、それにちなんでとある論文を読んだ。

その論文によると、日本は原爆を「投下された国」であるにもかかわらず「投下した国」に対する怒りの表出が少なく、「我慢して乗り越える」という被害者の視点が強いという。また、「投下された国」はもちろん“被害者”でもあるけれども、戦争を巻き起こした“加害者”という一面もあるし、その二面性を意識していない。投下した国を責めない代わりに、“お互い様”という甘えも潜んでいる、という論考を読んで、「なるほどなぁ」と思った。

別にこれは戦争という現象に限らず、あらゆることにも言えるのではないだろうか。

あいつは悪いと他人を批判している人は、あなたも悪いことをしていないだろうか。

鏡のように、自分自身にも問いかけているだろうか。

罪やミスを犯すことは確かに悪いことだけども、他者に対して許せないという感情だけで支配されてると、今度は自分がなにかミスをしたときに自分の首を絞めることになると思う。

かといって先述のように“お互い様”精神でやっていくとフラストレーションが溜まっていくわけで、人間はやっぱり話し合ったり交渉したりコミュニケーションしないといけない生き物なんだなぁ…と論文を読んで再認識させられた。特に私は我慢するタイプのくせに、怒りが溜まると相手が驚くほど爆発してしまうから、心の戦争にならないように、うまく人に怒りを表せるような人になりたい。例えば、ちょっとチャーミングに「やめてくださいよぉ~!」ってかわせるような、かわいい大人になりたい。

論文を読んで、何事もバランスだと思った。嘘と本当の世界。被害性と加害性。誤解と本質的な理解。すべてが二面的に、鏡のような概念。誤解が生まれるからこそ本質的な理解につながることもある。それは例えばカウンセリングでもそういう場面はよく起きるでしょう。そういう二面性を自分は何事も大事にしたい。日常生活においても。そしたらきっと相手にも自分にも優しくなれるし、動じないでいられると思う。大きな花器みたいに、どっしりとした支えとなる人間になりたい。

そんなひそかな願い、叶いますように。