nekohirokoroom335の日記

何がなんでも楽しく生きるって決めたのだ。

自殺したい自分に公開説教しました

論文を提出し終わったと思ったら、このザマだ。

 

メンタルが死んでいる。

自殺したいと思っているし、親にも「死にたい」と言ったし、元カレ2人にも「SOS」と鬼気迫ったラインを送ってしまった

「死にたい」という発言で人を傷つけたり、あるいは心配させて気を惹こうとすることはやっちゃいけないと思う。不健康な関係だと思う。

なのにしてしまう。というか、誰かにSOSを発信しないと、孤独死してしまうというか、「本当に実行してしまいそう」な気がするのだ。

遺書を書こうと本気で思っているが、こうやってブログで他者に何かを発信している時点で、まだかろうじて正気を保っている。

でも遺書書きたいな。お父さんお母さん元カレお世話になった精神科医、心理士、大学の友達、みんなみんないい人だったなぁって思う。

みんな助けてくれてたなぁって。

いまこうやって書いてて泣きそうなんだけども、これがいつか急に気分が晴れて、「いや、生きてみっか!」とコロっと気持ちがシフトする可能性もある。その可能性が捨てきれない。いつ、何がきっかけで「いいこと」が降り注いで、「生きてみよう」って思えるか分からないから。今はその降り注ぐ恵みの雨のようなものをずっとずっと待っている。でも待ちきれなくて、いろんな人に「死にたい」って言っちゃう。待てない。抱えきれない。もし、仮に「抱えられた」としたら、「一人で何も言わずに死んじゃう」気がするから。「あ、死のう」と仮に思ったとして、「よし!逝っちゃえ!」って声が聞こえたら、その通りに実行してしまう気がして怖い。だから、人に「助けて」っていう。そんなことしても無駄なのにね。

今は焦る気持ちが強い。「頼る人、相談できる人がいなくて辛そうですね」と声をかけられることもある。でも、相談できたとしてもできなかったとしても、またころころと気分が変わって死にたくなるんだから意味がない。なんのためにカウンセリングに行っているのか。なんのために精神科に行っているのか。一昨日薬を貰いに診察してもらったばかりだし、話を聴いてもらえたのに、死にたいって思っちゃう。

ばかだ、ばかだ。何も生かせてない。それも自分の中でネックになってる。

じゃあ自分の声に耳をすませて、自分の意志に従って行動すればいいし、自分が考え付いたストレス対処法を行えばいい。でもそれがないんだ。ストレス対処法が人に相談することなんだ。馬鹿だ。

そして自分の意志というのが「死にたい」だから、困るのだ。

 

死にたい、死にたい。

 

なぜ自分は生きているのか。そして死にたいのに実行できない自分が嫌だ

本当はどこかで希望を望んでいるのか。そして前向きに生きたいという気持ちがあるのだろうか。どこかでやり直せるとでも思っているのか?

そんな楽観的な自分が許せない。早く殺したい。そんな自分を殺したい。

でも守ってあげたい、大事にしてあげたい。

 

ちょっとした近所のコンビニでお茶を買えることだって幸せなことなのに。

近所の美容院がとっても素敵で、素敵なカットをしてくださる美容師さんにも出会えたのに。

近所の整骨院が料金が安いのに親身になって身体のケアをしてくれるのに。

近所のカフェのデカフェが、カフェイン抜きなのにすごいおいしいのに。

そんなちょっとした幸せを提供してくれる場所がたくさんあって、なんで私は死にたいなんて言うのか。東京で、半径500m以内に、自分の衣食住を満たしてくれる素敵な人たちがいるというのに。なぜ幸せな気持ちになれないんだ。

 

自分は幸せになるために、つらいことを沢山経験してきたんじゃないのか?

こんなに頭がいいのに、なぜ世の中に役に立てない?

ここでいう頭がいいっていうのは勉強のことだけじゃなくて、人を見極める力だったり、物事の本質を理解したり、人のためになることを考えたり、そういう「人のためになる」才能が満ち溢れてる、そういう頭のよさを指すんだ。

自分はそういった能力がある人なのに。なんで死んじゃうの。

そして人に対して、助けてって思えるんだったら、もっともっと頼って、見捨てられてもいいから誰か気にかけてくれる存在がいれば、それで十分じゃないか。

カウンセラーだって、お金払えば聴いてくれるプロフェッショナルな存在が何人もいるじゃないか。本物のカウンセラー、本物のサポートしてくれる人たちに恵まれてるのに、なんでそれを生かして、ありがとうって思えないのか?

差し伸べてくれた手を振り払ってるのと一緒だ。

 

もっと前向きに楽しく生きることが、きっとみんなが喜んでくれるし、何より「死にたい」と言っている自分を励ましてくれるきっかけになるんじゃないか。

確かにこの世はつらいことばかりで、なにか前向きな思想を持ったからといって状況が変わりゆくことはないのかもしれない。超ポジティブ思考になったって、次の日に親が死んでるかもしれないし、隕石が落ちてくるかもしれないし、コロナにかかって私が死ぬかもしれない。でも、私がどれだけ守られた世界に生きているか、それを実感しながら、「大切にされている」「守られている」って思いながら、日々を大切に生きていけば、きっといいことが待ち受けてるんじゃないか。

 

なんか前半から「死にたい」と思う自分の心境を書いていたが、段々とその自分をお説教する形になってしまった。こんな公開ブログで。

まぁ、こうやって、ブログを書くことで「他者の視点」を得られるから、ちょっと精神が落ち着いた。でもまた死にたくなるだろうから、こうやって書き続けるんだと思う。

明日は生きてるといいな。