nekohirokoroom335の日記

何がなんでも楽しく生きるって決めたのだ。

I'm in 軽躁状態

I'm in 軽躁状態.

いや、混合状態かもしれない。

母親に「躁鬱病であることを受け入れて、覚悟を決めなさい。そして、気分の波を少しでも小さくするよう努力して、社会に馴染めるようにしなさい。早く働きなさい」言われた。確かに私は覚悟が足りない。

前に私のドクターが「学習障害の子が“漢字が書けない”と勉強しないが、それだったら普通の人と遜色ないレベルまで漢字を沢山練習すればいい。発達障害を言い訳にして、何も努力をしない」と言っていたが(これは人によっては議論が分かれるところだと思うが・・・)、母親の言っていることと通じるなと思った。要するに病気のせいにして甘えるなということでしょうね。

確かにそうかもしれない。薬でコントロールしても、やはり気分の波は大きいし、死にたくなる病気だから。それをある程度受け入れて、感情を飼い慣らすことは必要かもしれない。でも飼い慣らすって何??感情が大暴れして手なずけることが今の私には難しい。もっと楽しく生きていきたいが、軽躁状態の時にしかできないので困ったものだ。

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でも、今の状態は割と元気で、死にたいなと思いつつも、6年ぶりに炊飯器を買って麦飯を炊いてみたり、野菜や発酵食品を沢山使った料理を作ってみたり、なるべく体にいいものを作るようにしてる。そして秋の移ろいを楽しんでいて、近所に咲いている花を写真にしてインスタにアップしている。

自分のインスタを見ると、まるで楽しく生きてる人のように見える。かわいい季節のお花、素敵なご飯、素敵な風景ばっかり・・・。でも、投稿できない日は人生に絶望して希死念慮に駆られていることは誰も知らない。

インスタにアップしているような素敵な日常の風景が、毎日のようにあったらいいなと思う。小さな幸せを見つけて、ちょっとしたカフェでコーヒー飲んで幸せになって。近所のお花屋さんで好きな花を買って。

そういう小さな幸せを沢山見つけて、感情に左右されずに生きていきたいのだが、死にたいという波に襲われたとき、身動きが取れなくなって、いくら素敵な花を見たって気分が晴れない。花なんて見てる場合じゃないんだ。

だから、躁状態の時に余裕があってできたこと、楽しめていたことが、うつ状態で急にできなくなってしまう。この落差が私にはどうしてもカバーすることができない。

正直、6年ぶりに買った炊飯器も、うつ状態の時に腐らせてしまう気がしてしょうがない。

気分の波を小さくする、って具体的にどうしたらいいんだろう。

レスキューアイテムって何かあるんだろうか。

死んじゃいたいと思ったとき、対処法はあるのだろうか。。。

そんなことを考えている。

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博論は作業が出来る日があれば、出来ない日もある。出来る日があっても、次の日以降寝込んでしまう。「明日またやろう」と作業を区切ってしまうと、次の日に出来たためしがない。いつまた再開するか分からない状況。

そして、自分の博論はつまらないと思うし、こんなんで学位はもらえないんじゃないかと思う。

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生理は1か月後にちゃんと来た。いつも3か月とか、周期がバラバラで生理痛も身動き取れないほど重いんだけど、今回は周期も安定して、生理痛も軽い。

どうしたんだろう。何が功を奏したのか理由がわからない。

でも、因果関係があるかは不明だが、基礎体温を毎日つけるのをやめて、婦人科系の漢方を何種類も飲んでいたのもやめて、ある意味ほったらかしにしていたら、自然ときた。毎日何かに囚われていて「絶対生理が来ますように!!」と願っていると、望ましい結果にはならないのかもしれない。よく婦人科の先生が「もう妊娠できないかも、って思ってると実は妊娠しているって場合もよくある」って言ってたけど、諦めてた途端に物事が良くなることって実はあるのかもしれないなと思った。

それと一緒で、博論とか人生とか体調とか、なにもかも悩んでいることに対してとらわれずに、「いい方向に流れていくといいな」ぐらいの軽いお願いごとぐらいのほうが、チャーミングで神様も願いを叶えてくれるのかもしれない。チャーミングさは、神様にも届いているようだ。そう思った。