nekohirokoroom335の日記

何がなんでも楽しく生きるって決めたのだ。

父親の存在に救われて死にたくなくなった

昨日あたりから自殺願望が薄れてきた。死にたい率30%ぐらいだ。

ちょっと死にたいと思うこともあるけど、「今にも死んでしまいそう」とリアルな感覚は少なくなった。今は穏やかに過ごせている。嵐の前の静けさかもしれないが。

死にたくなくなった理由はいくつかある。まず一つは父親とスカイプしたこと。父親は前向きでかつ論理的な思考ができるかっこいいお父さんって感じで、私は信用している。アカデミックな会話にもついていけるし、死にたいと言っても受け止めてくれる、器の広い人なのだ。そんな父親に昨日スカイプしてどうでもいい日常会話をしていた。父親が昔に尿管結石になってしまい、石が尿管に詰まっている間、猛烈な尿意が止まらなかった話をしていた。その時に父親が「人間は単純な生き物で、刺激から反応を受けているだけなんだと判った。尿管結石だって、“石が詰まる”という“刺激”から“尿意を感じる“という“反応”になっているだけ。実際、石が身体から出た瞬間、尿意は消えた。自分の主観的に感じているもの(思考・感情・感覚など)は、人間の自我から生じるものではなく、人間が刺激を受けた際の生理的反応にしか過ぎない」と話していた。

その話を聴いたとき、「死にたい」という主観的な気持ちも、もしかしたら単純に外からの刺激に反応しているだけかもしれないと思った。例えば、ホルモンバランスの乱れや睡眠不足でイライラするかもしれないし、低気圧や雨の日が続けば気持ちもどんよりする。そうやって、人間は外からの刺激(=自分ではどうしようもないこと)によって、簡単にメンタルがやられてしまうのだと思った。

私の双極性障害も、おそらく脳内の働きがうまく機能していないのだろうけど、それも自分ではどうしようもないことで、そんなことで死にたくなっちゃうのなら、自分のせいではないし、他人のせいでもないし、誰のせいでもないと思った。

だから、死にたくなった時も、「あぁ、今日はうつっぽいのね」って感じで、自分を責めることなく、軽く自分の中で飼い慣らす必要があると思った。例えば、赤ちゃんが大声で泣いていたら、「あぁ、ミルクが欲しいのね~」みたいな、適当に理由をつけて安心するみたいに。

そしたら、きっと大丈夫だと思った。

あとは父親と話していて、なんだか単純にほっとしたのもある。どうでもいい親子会話をしたり、日常の会話をしたり、大した内容じゃないけど、お茶を飲みながらおしゃべりできたのがすごく嬉しかった。死にたいと話したときも、過剰に反応するわけでもなく、ユーモアある感じで「“死にたい”っていうと悲しくなるから、“消えてしまいたい”とか、“お星さまになりたい”とか、言葉をマイルドにしてみな!」と言われて、言葉を置き換える遊びを二人でして、笑いが起きた。そういう些細なことが、すごくすごく嬉しくて、なんだか抱きしめてくれたように感じた。

最近、夢で父親が私を抱っこしてくれる夢を見たんだけど、それが現実になったような感覚がした(書いたら涙が出てきたぜ・・・)。

 

そんな感じで、家族のサポートは手厚い。すごい助かってる。

相変わらず博論は書けないし、明日ゼミなんですけども、なんとか乗り切ろうと思う。具体的な策は何も考えてないけどなんとかなると思ってます。

それじゃあね。