nekohirokoroom335の日記

何がなんでも楽しく生きるって決めたのだ。

遺体安置所のような部屋を改造したい

自宅に元カレを招き入れてしまった。

罪悪感が脳裏に横切る。

「また」呼んでしまった。

これだったら風俗とかプロの人にお金払って来てもらった方が全然割り切った関係でいいのになぁと思う。

使用済みコンドームが気持ち悪すぎて、吐き気がした。私のアパートはゴミ置き場が備え付きなので、即捨てに行った。

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元カレを駅まで見送って自宅に着いた瞬間、自分の家の綺麗さに腹が立った。

自分の家は、比較的掃除が行き届いており、ホワイトで統一されている。

家具もちょっといいメーカーのを使って、お花や絵も飾って、それなりに素敵なレイアウトだ。

なのに、なのに、ここで暮らしていると息が詰まりそうな”悪い気”が漂っているのだ。なんというか、遺体安置所のような無機質さを感じてしまう。"普通の人"のお家なら、きっと家族やパートナーの写真が飾られていたり、ディズニーランドで買った人形が置いてあったり、自分の好きなアニメのフィギュアや楽器などが置いてあるだろう。しかし、私の部屋には、そういった"自分の好きな物"が全然ない。いや、確かにかわいいお花が飾ってあるけど、義務的に飾られていて、"この家で楽しく暮らしています!"という雰囲気が全くない部屋なのだ。なんというか、ザ・うつ病の部屋という感じで、確かにこんなところに横になっていたら本当に死んじゃうなと思った。

一瞬、「大きめの観葉植物を置いてみようかな?」と思ったけど、そういう問題じゃないんだろうな。もっと、生活感のある”楽しく生きてる感じ”がするお部屋にしたい。

とりあえず明日は電子ピアノが届くので、それを部屋に飾ると、一つ生活感が増すかもしれない。でもそのピアノを心から楽しく弾けなければ意味がない。

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セラピストとの面接が今週末にある。正直行く気がしない。それはピアノが結構お高めの値段をしたから、面接費用を抑えたいというのもある。でも、本当の意図は"セラピストがいなくても楽しく生活したい"のだ。例えばピアノが一生の友達になれば、きっとセラピストなんていらない。セラピストがいない生活をしたい。そんなこと自分には可能なのだろうか。

私はセラピストに対して甘えている。「死にたい」と連呼して、内心困らせているのも一つの甘えだろう。例えば今セラピストが倒れて死んでしまったら、私は「死にたい」と打ち明ける相手がいなくなるので、きっと新しい生活をそれなりに見つけるんだと思う。いくら「死にたい」と言って、セラピストが親身に受け止めてくれたとしても、いや、受け止めてもらうほど、結局セラピストは何もしてくれないことに気づく。セラピストは話を聴く専門家だ。死ぬことをSTOPさせる専門家ではないし、働けるようになる魔法を教えてくれる専門家ではない。だから、私はいくら相談したところで、究極的に孤独だし、1人で責任をもってこの世の中を生きる必要がある。もし、それができなければ自殺すればいいわけだけど、きっと私にはそれができない。本当に死にたかったら実行してるわけだから。だから、どうせ1人で生きていかなきゃいけないんだったら、セラピストに「死にたい」と言うために交通費と面接料を払うのは馬鹿みたいだと思った。もっと、自分にプラスになるお金の使い方をしたいと思った。

これは前から思っていたことだけど、最近強く感じる。

 

もっと外に出るべきだ。動こう。本当は自分も論文をバリバリ書きたいんじゃないだろうか。書こうと思えば馬鹿力で書けるんじゃないだろうか。

自分にはできる。何かわからないけどきっとできる。そう信じて生きてみる。

とりあえずちょっとだけ投げやりにならないで、"楽しく生きる"ことを目標に生きてみたい。時々無性に死にたくなるとしても・・・。