nekohirokoroom335の日記

何がなんでも楽しく生きるって決めたのだ。

久しぶりに日記を書く。

日記を書くことにエネルギーを割けなくなってしまった。

理由はお正月を実家で過ごしていたのもあるけど、なんというか躁状態で、魂の奥底まで入り込むことができなかった。日記というのはある程度精神を病んでいて、孤独な状況じゃないと書けない気がする。深海まで下って、海を彷徨って、陸上に出る作業と似ている。普通の人は陸上に暮らしているので、わざわざ海まで入る必要はない。でも、病んでいる人は海にいったん沈まないと、心が回復しない。普通の人が味わうことのできない深層心理まで入り込む必要がある。日記を書くことは海を彷徨う行為と似ている。「沈むまで沈む」感覚に近い。

 

私は、働いてもないし博論も書いてない。要するにほぼニートだけど、今は楽しく生きてる。もちろん博論をやらなきゃと思うと死にたくなるし、単に躁状態の可能性も高い。だけど、例えば近所のスーパーで買ったヒヤシンスを育ててみたり、牡蠣の炊き込みご飯を作ってみたり、実家では初日の出を見た。幸せだった。”陸”にいる自然や人と触れて、なんだか精神は回復してきた。

でも、これはなんだか"偽物"の回復力な気がしてしょうがない。薬が増えたから、一時的にハイテンションになっている可能性が高い。また、”死にたい”と発作的に思ってしまう日がやってくるんだろうか。そんな自分が怖くて怖くて、嵐の前の静けさのように感じる。なんというか、正月休みの”休みボケ”がいつまでも身体の中に残ってる感覚がする。ずーっと正月休み、春休み、GW、夏休み・・・。一年中休みで、一体私は博論を書けるのだろうか。いや書かなきゃいけないんだけど、「きっといけるっしょ!ぎりぎりまで寝てようぜ☆」と小学生みたいなことを囁く自分がいる。本当は今すぐにでも書かないと間に合わないぐらいなのに。でも、この楽観的な小学生がいてくれるお陰で、私の精神はなんとか保ってるところはある。この小学生がいないと気が狂ってしまう。焦燥感がすごい出てきて、急に死にたくなっちゃうから。

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楽しいことをしたい。毎日楽しいことをして、インスタにその瞬間の写真を上げて("いいね"なんて誰からもいらない。自分だけのアーカイブを作る)、記憶の中に”楽しいこと”だけ入れて、容量いっぱいにしたい。自分は楽しむこと、気楽になることを怠っている!

もちろん、お金の使いすぎはNGだけど、ささやかな楽しみをずっとずっと味わっていたい。今日も月が綺麗だった。そういう感性を持っていたい。

自分はいける。楽しい人間になれる。というかこうやって書いてる時点でなってるんだ。いけるいける!私はいける!かわいいレディーなのだ!!

絶対いけるっしょ。何がいけるかわからないけど、いけるっしょ。