某人が亡くなってから2週間以上経つ。私はGAPで短パンを買ったり、池袋で夏らしいカゴバックを買ったり元気そうにしている。でもそれは見かけだけ。
本当は焦る気持ちが強い。焦燥感。なんかじっとしてられなくて、家にいても手持無沙汰なので、池袋に出て高いバックを買ったり洋服を買ってしまう。1人で家にいると落ち着かない。ソワソワして、ゴミ出ししたり美味しいお茶を飲んだり、気を休めようとしても、じっとしてられない。急にADHDの人になった。というか正確にはそういう”我慢できない”系じゃなくて、気が狂いそうな"焦る"感覚に襲われる。
なんで焦るかはよく分からないけど、じっとしていると彼と過ごした記憶が勝手に蘇ってしまうからだと思う。ハッキリとその当時のことが鮮明に蘇るわけではなくて、モヤがかかった感じなんだけど、それでも得体のしれない恐怖というか、”怖いな”って思っちゃう。だからその怖さから逃げ切るために洋服を買う。買った時は満足するけど結局家に帰って焦る。今焦りながら文章を書いている。本当は文章を書く気力はない。この文章誰か読んでるの?どうでもいいか。
自分は生きる力が強いと思う。
だって友達2人自死してさ(という推測だが可能性は高い)、彼氏が急に亡くなってさ、博士号は取れないの確定で、ろくに働いてないのに生きてるんだよ?
もう30歳になってしまったけど、言い換えればどんなにつらいこともそれなりにぶつかったり跳ねのけたり逃げたりして暮らしてきた、"暮らしてこれた"感覚に近い。
友達も自死してしまったけど、私は黒い光に吸い込まれずになんとか足をついて生きている。
でも、私は生きていないのかもしれない。ひょっとしたら心は死んでるのかもしれない。
下ネタになってしまうが、自慰行為をちょっとしてみたんだ。
何も感じなかった。
エクスタシーを感じる自分を想像したら気持ち悪くなってしまった。
もうこうやって肌を重ね合ったりハグして"気持ちいいな"みたいな、そんな身体の感覚、味わえる日は当分来ないんだと思った。悲しくなった。
そして仮にいい人がやってきたとしても、ハグしたとしても、その相手はいつか消えてしまうのだとしたら、何をどう信じていいのかわからない。本当に相手が好きって思ってくれて、私が好きって思っていても、目の前からいなくなってしまうのだから。
世の中が混沌としていて何も信じれない。仕事しようとか引っ越しとかどうでもいい。
自分は人を救えない。役にも立たない。無力感しかない。
かといって、残された親族のサポートばかりしていたら、心がおかしくなりそう。
助けて。
自殺したいと思うが、なんだか生きてしまっている。
正確にはこの焦燥感から抜け出したい。
セラピストはルーティンを自分の中で作って、それを徹底しろと言った。
例えば花の水やりとか、料理とか、洗濯掃除とかなんでもいいから、日常の小さなことを繰り返しやれと。
私はトマトを育てているので、その水やり、人工授粉、肥料を与えたり、脇芽を取り除いたり、些細なことをしている。でもそんなの5分で終わってしまう。
でも、気が休まるのはそんな感じ。
明後日はレモンの木が到着する。実ればいいなと思う。シンクロで、なぜか実家も同時期にレモンの木を買っていた。。。
幸せになりたい。
自分は幸せになりたい。幸せなのかもしれないが、幸せになりたい。
もうダイジョブって思いたい。まだか、まだか?ってずっと思ってる。
早く楽になりたい。気を楽に・・・。なみだ・・・。