nekohirokoroom335の日記

何がなんでも楽しく生きるって決めたのだ。

彼が亡くなってからもう少しで1か月が経つ。正確にはあと一週間したら。

なんか実感わかないけど、私はとにかく猛烈に生きたいという欲望のまま、季節感のある夏らしい洋服やカバンを買ったり(短パンとかカゴバックとか)、ちょっと凝った一点ものの作品を買ったり、花束を買ったり、いろんなことをしている。

回復したものと言えば、体重。67キロから70キロにまた戻ってしまった。

強迫的に食べてしまう。例えば、ちんすこうのお土産用の小分けを全部一日で食べる。

なんでも強迫的になっていて、キレイなもの、美しいもの、季節感のあるもの、生きている感覚が得られるもの、すべてにお金を衝動的にかけてしまう。

食べて寝て、その繰り返し。その”食べる”もかなりの量を早食いしてしまう。

もうちょっとなんとかならないのか。焦る気持ちを減らしたい。

心理士には「生きよう」って思う気持ちが強いから、その分強迫的になってしまうのでは、と言われた。確かにそうかもしれない。なるべく死に向かう”黒い光”に飲み込まれないように気を付けている。それに、彼が亡くなった当時の記憶とかがフラッシュバックしてきて、耐え切れずに買い物してごまかしてるところはある。

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私の心理士はネガティブなことを発言すると「あぁ・・・」とうなずくけれども、それ以上のことは言わない。なるべく明るい話題に持っていく。例えば家でレモンの木を育てていることを発言すると「いいね。もっと植物を育てろ」、感銘を受けた本の話をすると「いいね。その理論面白いね」と言う。でも、肝心の自分の問題点については何も言わない。正直、レモンの木を育ててることを報告しにわざわざ遠方から来ているわけじゃない。問題点についてもちゃんと扱ってほしい。心理士も私のネガティブな部分を抱えきれないんじゃないかと思う。怖いんじゃない?

でもね、私も怖いから別に抱えてくれなくてもいいや。もう、レモンの木でずっと盛り上がって1時間喋っちゃおうよ。

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怖いこと、ネガティブなことには触れず、なるべくポジティブなことだけにフォーカスを当てて喋ること、確かに悪くないのかもしれない。セラピストの方向性は間違っていないのかも。でもモヤモヤする。私の問題行動を扱ってくれなければ、その問題がどんどん病的なものになって、人様に迷惑かける。これ以上死にたいと思いたくない。

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今は強迫的にレモンの木を育ててる。他にもヒヤシンス、ミント、プチトマト、カーネーションを育ててる。強迫的に何かを育てることで癒されるんじゃないかと思ってしまう。父親も同時期にレモンの木を育てているので、育て方についてレクチャーしてもらう。時々うざい(しつこくアドバイスしてくる)時もあるけど、なんだか楽しい。レモンのことなのに、まるで自分を気にかけてくれている感覚に陥る。

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死にたい、とふと思ってしまう時がある。頭の中にかすかにそういう死にたくなってる自分がいて、猛烈に顔を出したがる。今、一生懸命生きてるのに。

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運動して、お風呂・掃除・洗濯・料理・花の手入れを頑張る、結構これだけでも大変なことではないだろうか。

自分の身体、自分の生活、ちゃんと大事にしたい。

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そう考えると、今回は、「博士論文を書くぞー--!!!!」と燃え上がっていたあの”強迫的”な自分とはまた一風変わった強迫性を感じる。切羽詰まった感は同じだし、死にたくなる感じは同じだけど、生きようとポジティブに頑張っている感じが今回は感じられる。焦ってるのにポジティブ。なんじゃそりゃ。でも悪い方向じゃないというか、これが台風のように過ぎ去れば、少し落ち着いて焦り感のない「生きよう」に変わるんじゃないかなーと思ってる。

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彼氏のおかげで休養できてよかった。元々博論頑張ってたらメンタルやられてたわけで、断念してゆっくり休めたのはありがたかった。本当に感謝している。きっと彼氏が休んだ方がいいって方向づけしてくれたんだよね。違います?あぁそう・・・。

でも彼氏には本当に感謝してるよ。何がって言われても言葉にならないけど、人生観を変えてくれた人だと思ってる。大げさかしら・・・。

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痩せたいなぁー--。痩せたらさぁ、友だち増えるかなぁ。

外に遊びに行く友だち欲しいなぁ。

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安藤裕子みたいな世界観で生きていきたいんだよな。

かわいく風船飛ばしてさ。フィルム映画の中みたいに生きていきたい。

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大丈夫、大丈夫。全然大丈夫じゃないけど生きている、生かされている、生きるしかない。

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今日はお天気がいい。そのうち梅雨になってしまうので日光浴たくさんして、いろんなところ歩こうと思ってる。