nekohirokoroom335の日記

何がなんでも楽しく生きるって決めたのだ。

「死と再生」の一年!

今年を振り返ると、もう博論を諦めるしかなくて、そんな中彼氏が死んじゃって、大変だった。でも、その中でも自分は働きたいんだ、頑張って、生きる方向に向かいたいと強く強く思うようになった。何かを諦めることは、何かが新しく始まることなのかもしれない。博論を出せないと決まった瞬間から、長年悩まされていた腰痛もすっかりよくなった。自分は心身症だったのね!

 

彼氏が亡くなった&博論を諦めた4月から、私は様々な楽しいことをした。

高校生からのファンである安藤裕子のライブに初めて行けたこと(しかもブルーノート東京!)、軽井沢、三島、長瀞に旅行に行ったこと。

仕事もずっと「検査の仕事をしたい」「検査屋さんとして食っていきたい」と願っていたが、今の仕事は全部検査の仕事。週3で検査やってる。心理士にそれを話したら「実力があるからそうなった」と言われた。嬉しかった。

夢が叶ったことや、夢中になれることを沢山経験した。

でもこれらは私の実力があるからだろうか?

周りの心理士さんやら占い師さんに「頑張れ」と背中を押されて、なんとか生きてこれた感覚がある。私は精神がだめになると「頑張れ!」と言ってくれる人が欲しくなる。それを、私の安心できるチーム(心理士、占い師)がやってくれた感じがする。

すごくありがたいことだった。家族も金銭的な援助をしてくれた。私はとても恵まれている。

実力って何?って感じだけど、私の検査結果の書き方は誰にも負けない。誰かにとって「確かにそうだ」と心のつかえがとれるような、そういう的確なフィードバックになるように心がけている。その書き方、書く内容が、誰にも負けないと思える。

先輩のレポートを読んでも「私の方がもっと上手に書ける」と思ってしまう。

なんででしょうね。

それが才能なのでしょうか。それが実力なのでしょうか。

頑張りたいなぁ。

検査の天才、専門職と言われるようになりたいなぁ。

 

来年は個人事業主としてちゃんと生きていきたい。

っていうかそういう肩書を取っ払って、楽しいことを全力で頑張りたい。

楽しむって能力を開花させないと、うつになったときにリカバリーできない。

これから親も数年で亡くなる。心理士も精神科医もいなくなっちゃう。

私のサポートしてくれる人がいなくなるこの3年以内に、大体は食っていけるようになりたい。元気に、自立して生きていきたい。

 

あとは、「怖い」と他人に思わせちゃうので、その怖さを仕事に生かしたい。

対人関係に使わない方がいい。

 

私の恐怖はまた似たように同じ大学、同級生、先輩、大学関係者の人達と仕事しなくちゃいけない場面が来そうな嫌な予感がする。

2度あることは3度ある。

怖いなぁ。

 

でもね、仕事をしっかりしていれば大丈夫だと思うんだ。

「あいつ性格悪すぎだけど、アセスメントに関しては天才的なんだよね」って。

そう思われるように頑張りたい。

 

頑張る頑張るって何を頑張ればいいのか分からないけど、自分が「楽しい」「得意」と思えるものを突き詰めたいと思う。楽しいと思う感覚は、ラクって感覚に近い。正確には大変だけど、例えば恋人にフラれた当日でもなんとか仕事として仕上げられるような、そういうラクな感覚。「どんなに自分のコンディションが悪くてもこの仕事だけは仕上げられる」と思えること。それが自分の得意なことだと思う。自分の検査の仕事は、そういう感じ。だからきっと検査の仕事を極めるんだろうなあ。

 

楽しみな年だ。

身体には気を付けたいと思う。胃が苦しくなるまでお菓子食べちゃうの無意識の自傷行為って感じだから、腹八分目で抑えたいと思う。

なんか今日は甘いものが食べた過ぎて、豆腐に黒蜜かけてむさぼってた。

 

生きていて楽しい感覚。持ち続けたい。