nekohirokoroom335の日記

何がなんでも楽しく生きるって決めたのだ。

朝と夜になると少し気分が落ち着く。

昼が一番しんどい。普通の人が働いたり勉強してる時間。何もできないのが苦しい。

論文も何も進まない。このままあと13日で1月が終わる。このカウントダウンをTwitterで見てしまって急に死にたくなった。年末の時もそうだけど、「あと○○日で今年が終わる」みたいなカウントダウンをされると自分の人生が何も進んでない気がして絶望して死にたくなってしまう。それで、一気に現実に戻ってしまう。あぁ博論やらなきゃ、てかもう無理じゃね?卒業できなくね?誰も何も言ってくれないの?(人のせい)この「ぎりぎりのライン」で生きている感じがもう無理。しんどい。じゃあ行動に移せよと言われてもできない自分がいる。それってやっぱり論文書きたくないんだろうか。もし明日しかリミットがないと言われたら論文書くんだろうか。100万字。

自分は甘えているんだろうか。でも私の人生は信号機を渡る時と同じ。青信号だと思って余裕こいてたら、急に点滅して赤信号になる人生。もともと歩く速度、何かに気づく速度が普通の人より遅いんだと思う。だから、そんな速度の遅い自分に締め切りを明記されたところで間に合わないというか身体がきつすぎるから、「書けたらラッキー」ぐらいな感じで思っておこう。そしてこの焦る感じもたまには大事ぐらいに思っておこう。

 

今日は満月。何かを整理する時期なのかもしれない。

長田弘さんの詩集を池袋のジュンク堂まで買いに行きたい。元気になったらね。

①眠れない夜と詞

津波による避難指示が地元に出た。

怖くて眠れなかったけど親は普通にすやすやと寝ていたらしい。

無事そうでよかった。

あまり眠れなかったのでTwitterを適当に見ていたら、長田弘さんの詞がタイムラインに流れてきた。「窓のある物語」という詞にある「齢の数だけ、深呼吸をする。十二数えて、目を開ける」を実践したら、こころがとっても軽くなった。身体の緊張も少し取れた気がする。毎日実践してみようと思った。そしてこの作家さんの詩集をもっと読んでみたくなった。

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窓のある物語

窓の話をしよう。
一日は、その日の表情がある。
晴れた日には、窓は
日の光を一杯に湛えて、
きらきら微笑しているようだ。
曇った日には、日の暮れるまで、
窓は俯いたきり、一言も発しない。
雨が降りつづく日には、窓は
雨の滴を、涙の滴のように垂らす。
ことばが信じられない日は、
窓を開ける。それから、
外にむかって、静かに息をととのえ、
齢の数だけ、深呼吸をする。
ゆっくり、まじないをかけるように。
そうして、目を閉じる。
十二数えて、目を開ける。すると、
すべてが、みずみずしく変わっている。
目の前にあるものが、とても新鮮だ。
初めてのものを見るように、
近くのものを、しっかりと見る。
ロベリアの鉢植えや、
体をまるめて眠っている老いた猫。
深煎りのコーヒーのいい匂いがする。
児孫のために美田を買うな。
暮らしに栄誉はいらない。
空の見える窓があればいい。
その窓をおおきく開けて、そうして
ひたぶるに、こころを虚しくできるなら、
それでいいのである。


長田弘『窓のある物語』)

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②嬉しかったこと一覧

・友達が自宅に遊びに来た。2回目。2回も遊びに来る友達なんて初めて。

お誕生日プレゼントとして友達に花束とハンカチ(刺しゅう入り)をあげた。

とっても喜んでくれた。

前回よりも家の中が綺麗になってると褒められた。嬉しかった。

・自宅用に花を買った。気に入った花をいくつか自分でピックアップしてお店で花束にしてもらった。そうしたら、店員さんに「とっても素敵な花束ですね。ぜひうちのお店で働いてほしいくらい!」と言ってもらえた。嬉しかった。

・ヒヤシンスを自宅のベランダで育てている。花のつぼみがぐんぐん伸びてきてすごく嬉しい。成長過程を微笑ましく見ている姿が、まるで自分の子どもみたいだなと思った。3色育てているが、ピンク色のヒヤシンスだけ成長が遅い。つぼみがなかなか出てこない。まるで私みたいだ。本当に花が咲くのか、根が腐って死んでしまうのか、危ういところだなぁ~と思っていたら、今日の朝ほんの少しつぼみの頭が出てきた。よかった!!このままゆっくりで良いから元気でいてほしい。

・ずっと花ばかりケアしていたら心が満たされた。自分にも花を生けるセンスがあったり、丁寧にヒヤシンスを育てることができるなら、きっと他にも得意なことがあるはずと思った。そして、他にもやるべきことがあるのでは?と思った。もちろん博論なんだけども。もうたっぷり休憩した感じはある。少し論文やってみようかなと思った。運動できなくて身体が気持ち悪い感覚と同じように、論文が書けないことに対して気持ち悪さを覚えるようになった。これは一つの成長かもしれない。ただ、この成長に期待しすぎないようにして、前に進めたらいいと思う。そのうち桜が満開で私の人生は置いてけぼりみたいなことにならないでほしい。花にすら見捨てられたら悲しいから。もうちょっと頑張ってみようね。

・論文を書いてみたくなった。ただ、そういう”気”がするだけで、なにも行動に移せてない。でもそんな自分を責めることなく、楽しんで生活している。薬が効いているようだ。

 

・昔、おじいちゃんと行ったカナダ旅行で買ったパワーストーンのブレスレットがある。20歳の時に買ったものだ。引き出しにしまってたんだけど、ふと思い出してなんとなく着けてみた。なんとなく安心した。気づいたらブレスレットを着けたまま12時間寝てしまった。私の不眠症は不安感からくるものみたいだ。

 

・今日は母親の誕生日だ。幸せに生きてほしい。実家に正月帰省した時、庭に咲いている花を摘んで、花束にして生けた。ささやかな誕生日プレゼントのつもりだった。その時に使った花瓶(その辺に転がってたやつ)が妙に素敵だった。あとで母親に聞いたら「新婚旅行でお父さんとイギリスに行った時に、本店のWedgwoodで買ったんだよ」と言われて、とてもびっくりした。きっといいことが起きると思った。

 

・突然、なんか痩せたくなった。コアトレというのを整骨院で始めた。微量な電気(ちょっとビリビリする振動)をお腹に当てて、人工的に腹筋を鍛えるというものだ。なんとなく、洗濯ばさみでお腹の腹筋をぎゅっと挟まれた気分になる。なるほど、こうやってインナーマッスルを鍛えていくのか・・・。これに加えて運動を意識的にしていけば、なんとなく痩せていく気がした。イケるっしょ。

 

なんとなく、ちょっとずつ人生が上向きになっている気がする。

これは薬の影響なのか、ちょっとしんどいことが一時的に減っているのか、わからない。でも、なにがなんでも楽しく生きたいと思う。

 

 

 

自分の双極性障害は一生治りません。それを今はっきりと自覚しました(自覚できた理由は後ほど)。

双極性障害とうまく付き合う」という言い方は、「病気は治らないけどそれなりに症状をカバーして生きていこうね」という意味だとようやく理解しました。

今までお世話になってきた心理士たちも、みんな「治らない」って思ってたんだ!!

は!!!???ふざけやがって!!!!!!

こっちは治せるものなら治したいわ!!!!!!!!!!

こんなすぐ死にたくなったり生きようと思ったりジェットコースターみたいな人生もういやや!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

でも、ずっとテンションが「普通の人」みたいな"プチ明るい感じ"でいると、なんだか自分が自分じゃないみたいです。ずっとカラカラの晴れの日が続いてて、そろそろ雨や雪や台風も欲しいなーって感じ。ずっと晴れてる感じがして気持ち悪いです。

季節にも四季があったり天候が移り変わるように、気分にも波があって当然だと思った。まぁ穏やかに迷惑をかけない形で過ごせた方がいいけど、無理して気分の凸凹を治す必要はない気がしてきた。

 

なんでそれに気づいたかというと、今日は東京で雪が降る予報になっているから。

外出たらまぁ寒い。でも、こんな日もあって素敵だなって思った。それと同時に、気分の波も、雪みたいな日もあった方が人間らしくていいんじゃないかとふと思った。

ただ、人に被害を与えるような行動はなるべく避けたいなと思う。

だから、天気予報みたいになるべく"やばくなりそう"な予兆をキャッチしようと思う。あと考えられる対策は、災害時(大荒れの時)のレスキューアイテムを用意する、避難場所を確保する、じっとやり過ごす・・・。こんな感じかしら。

日本人だって島国でこんなに災害が多い中"ふつー"に暮らしてるんだから、双極性障害の人だって「まぁまぁ、これがうちは普通なんで(笑)」って感じで暮らせないのかな。いや、暮らせるようになれるんじゃないのかな。

ちょっとチャレンジしてみようと思う。

とりあえずどういうときに"死にたくなる"のか、雲の動きを眺めるように、心の動きも観察してみようと思う。きっと明日の天気も分かるようになる。

観察・・・。ハートウォッチングや・・・。

(具体的な観察結果はまた後程)

久しぶりに日記を書く。

日記を書くことにエネルギーを割けなくなってしまった。

理由はお正月を実家で過ごしていたのもあるけど、なんというか躁状態で、魂の奥底まで入り込むことができなかった。日記というのはある程度精神を病んでいて、孤独な状況じゃないと書けない気がする。深海まで下って、海を彷徨って、陸上に出る作業と似ている。普通の人は陸上に暮らしているので、わざわざ海まで入る必要はない。でも、病んでいる人は海にいったん沈まないと、心が回復しない。普通の人が味わうことのできない深層心理まで入り込む必要がある。日記を書くことは海を彷徨う行為と似ている。「沈むまで沈む」感覚に近い。

 

私は、働いてもないし博論も書いてない。要するにほぼニートだけど、今は楽しく生きてる。もちろん博論をやらなきゃと思うと死にたくなるし、単に躁状態の可能性も高い。だけど、例えば近所のスーパーで買ったヒヤシンスを育ててみたり、牡蠣の炊き込みご飯を作ってみたり、実家では初日の出を見た。幸せだった。”陸”にいる自然や人と触れて、なんだか精神は回復してきた。

でも、これはなんだか"偽物"の回復力な気がしてしょうがない。薬が増えたから、一時的にハイテンションになっている可能性が高い。また、”死にたい”と発作的に思ってしまう日がやってくるんだろうか。そんな自分が怖くて怖くて、嵐の前の静けさのように感じる。なんというか、正月休みの”休みボケ”がいつまでも身体の中に残ってる感覚がする。ずーっと正月休み、春休み、GW、夏休み・・・。一年中休みで、一体私は博論を書けるのだろうか。いや書かなきゃいけないんだけど、「きっといけるっしょ!ぎりぎりまで寝てようぜ☆」と小学生みたいなことを囁く自分がいる。本当は今すぐにでも書かないと間に合わないぐらいなのに。でも、この楽観的な小学生がいてくれるお陰で、私の精神はなんとか保ってるところはある。この小学生がいないと気が狂ってしまう。焦燥感がすごい出てきて、急に死にたくなっちゃうから。

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楽しいことをしたい。毎日楽しいことをして、インスタにその瞬間の写真を上げて("いいね"なんて誰からもいらない。自分だけのアーカイブを作る)、記憶の中に”楽しいこと”だけ入れて、容量いっぱいにしたい。自分は楽しむこと、気楽になることを怠っている!

もちろん、お金の使いすぎはNGだけど、ささやかな楽しみをずっとずっと味わっていたい。今日も月が綺麗だった。そういう感性を持っていたい。

自分はいける。楽しい人間になれる。というかこうやって書いてる時点でなってるんだ。いけるいける!私はいける!かわいいレディーなのだ!!

絶対いけるっしょ。何がいけるかわからないけど、いけるっしょ。

このブログ読者の1人でもあるお友だちが心配して連絡くれた。嬉しかった。安心したのかスヤスヤと寝てしまった。

次の日も15時ぐらいまでスヤスヤ昼寝。

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最近、ツイキャスが救いになっててLGBTの占い師が雑談してる配信がめちゃめちゃ好き。

なんか救われた気持ちになる。

夕焼け見ながらその人のキャスを聞いてたら、なんだか元気になって、論文を書いてみたくなった。

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やらなきゃいけない、後回しにしていた論文は夜になんとか書けた。

たっぷりの休養が心を救ったんだと思う。ただし休んでる自分を責めないで心から楽しく過ごすことが超重要。

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死を切望してる自分がいたけど、死ぬことはたった1回きりのご褒美なら、最後まで取っておいて、その間に楽しいことしてよー!って思った。まぁこの世は地獄みたいだけど、死ぬことがご褒美なら後回しにしておくのも悪くないと思った。寿司屋のネタで1番好きなものを最後に食べるのと一緒だね。楽しく生きてこうね。

 

おやすみ。明日またちゃんとしたブログ書きます。