nekohirokoroom335の日記

何がなんでも楽しく生きるって決めたのだ。

久しぶりに日記を書く。

何か月ぶりだろうか

意外と元気に生活している。

 

死にたいという主訴は、ただの不適応で、病気ではないのではないかと思い始めた。

最近、33歳にして、自分らしく生きられるようになった。

これは本来子供、例えば3歳とか言葉を話せるような年齢から高校生の思春期青年期まで、自分というものが全くなく、透明人間のように生きてきた私にとって、「第二の私」という死と再生のような感覚になっている。第二の人生。

だからその人生歴が、元カレ(krうち)が亡くなってから輝き出したから、自分の小さな子供が3歳程度しか発達していないわけで、あともう3年ぐらいはこの調子で楽しく生きていきたい。自分の心に新しく誕生した子供が小学1年生になるぐらいまで見届けたい。あと、3年というところか。

 

元カレが亡くなったのが2022年の4月。

大学院D6を辞めるのを決意したのは上記の理由で、実際に退学したのは2023年4月。ということは、完全に社会に放出されたのは今の段階で1年半ぐらいしかないわけで、社会人としてはまぁまぁよくやれているのではないか。

s区の仕事は3年目。来年度で4年目。ということは、大学院生でありながら仕事にありつけた唯一の特技が検査業務であり、その腕をもっと磨く必要がある。

 

s区の検査業務はほぼノーミスでクリアしている。

マニュアルもしっかり読んで、WISCー5に取り組めている。研修会にも2、3回でた。

今年のs区の担当者は文章の表面的なところしか理解してないASD傾向高めの人なので要注意だが、うまく反論できている。

 

s区の仕事で、見通しを持たせた方がいい子供たちがいることが分かり、見通しを示した紙を作成したり、虹色のタイマーを設置したり、がんばったねシールを持たせたりした。そういうのはs区的にはNGなのだろうが、結構子供たちも頑張れている。

検査が中断する可能性があると言われていた衝動性の高い子供も、楽しそうに取り組んで1時間であっという間に終わってしまった。

自分は検査を終わらせる才能もあるし、フィードバックも上手になってきた。

 

フィードバックは専門書をいくつか読み、見立てやアドバイスが正確に、自信を持って言えるようになってきた

攻撃的な気の強い特別支援コーディネーターにも「視覚的な資料を提示してくれて、とてもよかった」とお褒めの言葉をいただくぐらいまで成長した。

副校長先生も「資料作ってくれてありがとうございます」とわざわざ校庭まで走って声掛けしてくれた。

担任の先生にも「検査者の安心感から、子供のIQのポテンシャルが引き出せた」とも言われた。

「わかりやすいかな?」とか、「子どものためになるかな?」と思った配慮が、結構実効性ある感じがする。

気の強い保護者にも動じず話せるようになった。

 

レジリエンスも大事だけど、へこんで回復するよりも、へこたれないタフネスの方が自分には身に付いているような感覚がする。

昔はまさしくガラスのハートというような繊細さ、被害妄想、攻撃性などがあったが、それがすっかりなくなって、まっとうな人間になった。

まともで、元気な心理士になった。

もし今ロールシャッハやったら、ちゃんと色彩反応も出て、P反応も多いんじゃないかと思う。

 

もし仕事を増やすとしたら、教育センターのアルバイトとか、巡回相談員とか、乳幼児健診とか、そのあたりの行動観察、アセスメント力を活かして、継続面接じゃない仕事をしたいと思う。本で得た知識とかである程度カバーできるような感じで、それほど責任感がない仕事。自分にはそれが合っている。

こないだ求人が出ていた。4月に向けて、今ぐらいの時期に求人が出回るんだなと思った。s区の教育センターは、巡回相談員は週3~4日で、結構日数が多め。

週1で働けるところはないだろうか・・・。

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最近、ぼーっとしている時、たとえば旅行から帰っている新幹線の中、仕事が終わって家に帰る途中に、昔の蓋をしていた記憶がよみがえってくるときがある。まさしくフラッシュバック。例えば、父親が母親の首を絞めて夫婦喧嘩しているところ、整体師の元カレとクリスマスを過ごしたこと、s先生のことを攻撃したこと、など、幼少期の時から現在のことまで、それまで全く覚えていなかった記憶がよみがえってくるときがある。

 

心理士に相談したら、今まで過覚醒モードで常に論文のこととか考えたから、低覚醒モードになってから身体が慣れてなくて、副作用として起きているのでは、EMDRがいいんじゃない、杉山とうしろう先生の簡易的なフラッシュバック対処法が本に書いてあったと言われた

 

一方、精神科医には未来への不安があるときに悪夢やフラッシュバックが起きやすい。またフラッシュバックは今までで一番嫌な記憶がよみがえりやすい。両親の記憶は、それほどつらかったんだね、と言われて泣きそうになった。

そのあと悩みはある?と聞かれて、結婚できないと話したところ、それが原因でフラッシュバックが起きるんだと言われた。

確かに、ちょっとリンクしているような、していないような。

 

最近9時間睡眠がデフォルトになっていたにもかかわらず、夜中の1時とか3時に目が覚めて、2度寝するスタイルが増えてきた。中途覚醒だ。

やっぱり悪夢を見ることが多い。といってもすごく悪い夢でもない。

単純に冬になってトイレが近くなっているのもあるかもしれない。

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むかし、「悲しかったこと、つらかったことを話す力はあるけど、楽しかったことを楽しかった、と話すことが少ない」とセラピーの場で話していたことがあった。

何年前の話だろうか。コロナ禍あたりだった気がする。

今は楽しかったことをちゃんと心の中で味わって、そのあと意識がしゃっきりするようになった。楽しい=楽しい、かなしい=かなしい、と素直に物事を受け取って、感じる。かなしいだけが100%占めない。楽しいこともちゃんと楽しめる。

それってすごい能力だ。

どうやって身に付いていったんだろうか。

 

でも身につけるものでもなく、もともと持っていたポテンシャルが発揮できるようになっただけでは。それこそ、不適応状態から回復出来ただけの話ではないか。

今は私=私である、とはっきりと証明できるような、自分らしい感覚がする。

 

ただ、フラッシュバックはたまにつらい。

 

身体には気を付けて、これからも楽しいことを続けたいと思っている。

死にたいという主訴はもう消えた。

怒りも消えた(半分ぐらい)

かなしみも消えた。

楽しいという気持ちは増えた。

嬉しいという気持ちも増えた。

あとは男性に対する怒りを覚えた時、どう対処するか。

あとは舐められそうになったとき、どうやって事前に「なめられない」対処をするか。

(本当は金パツにしたり、ハジチ(手の入れ墨)を入れたい)

 

自分は毎週カウンセリングに行っているが、それよりも仕事したほうがいいのではと思う。でも毎週千葉に帰ることがリフレッシュにもなっているし、毎週コンスタントに報告することが自分のマインドを整えている。

 

この調子でいけば彼氏が出来る気がする。だって私、普通の面白い人間だもん。

マトモだし、かわいいし、ちょっと怒ると怖いけど、それもチャーミングに怒れるようになれば大丈夫じゃないかな。

どこで誰と結婚するんだろうか?

もうすぐな気がする。

でもその前に体重を痩せて、巡回相談員をしないといけない。

自分が自立してないと、変な男がやってくる。

あと3年は彼氏いなくてもいいかな。いや、今でもほしいかな・・・?

いや、付き合うのめんどくさいからある日突然家に誰か男の人がいてほしい。

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今のテーマは金銭的なこと。

節約生活、身の丈にあった生活を目指すこと。

高い洋服は買わない。

毎月1万は貯金したいと思う。

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今年はクリスマスツリーをゲッキツを使って作ってみた。

綺麗!

 

飾り棚もアレンジしてみた。

 

今年いった場所→

千里中央(大阪)

・金城ふ頭(名古屋)

・三宮(神戸)

・北山エリア(京都・予定)

深大寺(調布)

安房鴨川

・館山

千鳥ヶ淵

・安宅海岸(石川県)

池上本門寺

目黒不動尊

・中近東文化センター

・サンシャインらん展

・加藤先生のライブ×2

・あさがお祭り(伝通院)

・すがもの盆踊り

・森林浴ファシリテータ@小石川植物園

・WISCー5臨床心理士研修会×3

古代オリエント博物館

御徒町・ぎょくおう

 

こう考えてみると、両親も東京に出るの楽しみにしているみたいだね!

 

そういえば、2017年以降、3000~5000歩だった11月の平均歩数が、6000歩になってた。iphone13の記録上では、過去最大の歩数。

満員電車に乗れるようになった。タクシーもほとんど使ってない。

 

大丈夫っぽいけどまだかさぶた状態だから、もう少し今のライフスタイルを楽しもうね。

ここで仕事いっぱい入れてキャパオーバーになったら、人生楽しめなくなって、また死にたいって言いだしたり、解離っぽくなるから気を付けよう。