nekohirokoroom335の日記

何がなんでも楽しく生きるって決めたのだ。

楽しいことをいたしましょう、いたしましょう。

日記だけはなぜか書ける。どんなに体調悪くても。博論は書けないのに。

 

体力の衰えを感じる。デブだからか。

痩せたら人生が変わる気がするんだけどどうやったら痩せるんだろう。

でも痩せたい痩せたいって思っててもストレスになるだけだから、

痩せるよりもストレスそのものを減らした方が良い。

私は痩せたいじゃなくて、痩せるんだ。という強い意思を持つこと、

いずれ痩せるから焦らなくて大丈夫、というどっしりとした安定感を持つことが大事だと思ってる。

 

言動というのは行動の一つであって、言葉を話すという行動である。

だから、「痩せたい」とか「彼氏できない」じゃなくて、「痩せる!」「彼氏できるでしょ!」「てか彼氏できる気がする!」みたいに、もう痩せてることが確約されてる、あるいは彼氏候補があたかもすぐそばにいるかのように、思い込みってほどではないけど言い切った方がいい。それは自信にも繋がるし、やっぱり言霊ってあるから。

例えば悪い例を出すと、「死にたい」じゃなくて「死ぬ」って言ってる人は、やっぱり死へのアクセスが近づいているように思える。強い意思を感じてしまう。

「今から死んでやる」という言葉は最たるもので、本人も死にたくないかもしれないし、死にたい気持ちは確かに存在しうるかもしれないけど、確実性のある言葉として発信することで行動に移ってしまうし、他者を巻き込む形になりうることもある。それはやっぱり本人も含めみんなにとってハッピーじゃないし、自分の気持ちがもっと分からなくなる。

 

だから、その逆を言うの。結局将来どうなるかわからんし、自分の内なる感情もわからないんだから、どうせだったら前向きな気持ちにDriveするように働きかけるの。

別に料金もかからない。タダで気持ちがよくなるんだったら、ポジティブな言葉をかける。非現実的でもいいから、とにかく気持ちを楽にした方がいい。

一種の暗示かもしれないけど、「明日学校行きたくないな」って思ったらお腹が痛くなるのと一緒で、やっぱり言動によって人は作られると思う。

だから私は「死にたくない!」って思って鍵垢のTwitterにも同様のセリフを書き込んでる。Twitterは面白いもので、スクロールして過去の投稿を遡ると、2か月前には「死にたい」ってずっと毎日のように投稿していたのが分かった。

でも、最近は「死にたい」から「死にたくない!」に変わった。

理由は分からない。メンタルの薬が効いてるのかもしれないし、ホルモンバランスの調子が整ってるのかもしれない。それか、年齢的な「もうすぐ30歳なんだからそろそろ楽しく生きろよ!」っていう神様からのダメ出しかもしれない(笑)あとは、コロナで他者と極力関わらずに楽しく生きていく方法やセルフケアを生み出さなければいけない状況下に置かれていたということも関係しているように思える。

 

とにかく、自分は神様に生かされているし、生きててよかったと思う。

職業的には資格を取ったのに全く生かせてない無職だし、学生っていう身分だけども、本当に幸せだと思ってる。

楽しいっていう感情がこころから味わえるように、つらい気持ちを存分に味わってきたんだと思う。

 

なんだろう、これを読んだ人はもしかしたら躁状態じゃない?とか、宗教やスピリチュアルに走った人に思うかもしれないが、私にはそれらの状態と全く違うし、区別できるような、質的に異なる精神状態だと感じている。

底抜けに明るくなったわけではない。たまに猛烈に「生きていけるかな」って不安になったり、片頭痛に襲われて涙が止まらず急に不安定になることもある。

でも、なんだか「それでも大丈夫。なんとかなるっしょ」って雨上がりのような気分になっている。不思議な感覚。ハイではないけどロウでもない。ニュートラルに明るい感覚。この状態がいつまでも続いて、いつか素敵な人ってみんなに分かってもらえる日がくるといいなぁ。溢れんばかりの素敵な人になりたい。いや、なっている!(言霊療法)