テンションが下がり気味。
今日は博論に関連した論文を20件近く読むことができた。単行本も読んだ。
4時間ぐらいずっと論文を読むことができた。
朝起きたときからいつもの腰痛や頭痛など身体の痛みがほとんどなく、「今日はいけるぞ」という気がしていたので、朝のうちにちゃっちゃと論文を読んだ。
国会図書館から取り寄せた論文、3か月ぶりに読んだ。要するに3か月の間、勉強していなかったのだ。
何をしていたのかあまり記憶にないけど、多分体調不良と闘っていたのでしょう。
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先日、母親に腰痛がひどくて死にそうと連絡したところ、腰痛に効く漢方をいくつかセレクトして送ってくれた。それを知らされたのは前日で、「明日にはポストに漢方が届くよ」と言われていたので、おそらくプラセボ効果が生まれて腰痛がなくなっていたのかもしれない。お母さんの念が届いた。ありがとう。
お母さんが心配して漢方を送ってくれる、ということが治療的に働いたんだと思う。
でも思った。お母さんいなくなっちゃうんだよな、、いつか。
そしたら、どうやってこの痛みと闘うことができるだろうか?急に悲しくなった。
身体の痛みが取り除かれてほっととしたと同時に、いつも心配してくれる親や周りの人々が急に消えちゃうんじゃないか、いなくなった時に一人で生きていけるかとても不安になった。
こんな不安感、普通のアラサー女子は思うのかな。私みたいに精神年齢が少し低い人にしか生じない気持ちなんだろうか。
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さて話は戻る。論文を読んでからいろんな疑問が生まれるようになった。
運動がメンタルヘルスに良い影響を与えること、それは周知の事実なんだけれども、運動のどういった要因がメンタルに良いのか、いまいち分からない部分もあった。
例えば、ある研究者は部活動やスポーツクラブなど、集団で他者と関わるといった「人とのつながり」を重要視し、別の研究者は特定の脳内物質が活発に動くこと、もう一人の研究者は、身体を自分の意思で動かせることによって「やればできるんだ!」という自信や成功体験がメンタルにとって重要だという。
でもどれもこれも複雑に相互に絡み合っていて、運動と一括りにしたところで、運動の「何が」メンタルにいいのかよくわからなかった。
ただ、最近の研究ではコロナ禍の中で、「運動しない」人より「する」人の方がメンタルヘルスが良好というのもある。でも、それは他者とつながりが遮断された状況で、1人で身体を動かすことが求められる。そうすると、上記で述べた運動の効果として「人とのつながり」がメンタルにとって良いという仮説は覆される。
もっと極端な疑問を言うならば、無人島で1人にされた場合でも、運動すれば精神的に元気でいられるのだろうか?そこを知りたいと思う。もし仮にだけど、無人島でも運動すればメンタルに効くよ~って研究が出たとすれば、今までの論文と違った知見が提供できると思う。そんな極端な論文あるわけないだろうけど。
私が言いたいのは、運動の効果って不思議だなぁということ。
自分自身がちょっと外でお散歩しただけでも気分転換になることを知っているので、メンタルが安定するのは直感的にわかる。
でも身体の中で、あるいは心の中で何が起きてるのかメカニズムがよく分からない。
知りたいなぁ。
まぁ、そんな感じで論文はいろんな疑問が生まれて、次々とその疑問を解決できないかと論文を読んでいます。このモヤモヤした疑問をレビューでまとめて、せめてボスに研究の成果として発表できればなぁ~って思ってる。
久しぶりに論文読めました。有言実行!
じゃあの!