nekohirokoroom335の日記

何がなんでも楽しく生きるって決めたのだ。

この日記読み返すと元気でるな。

 

整骨院の元カレが彼女と同棲してて、籍入れるかもと言われて、施術内で泣いてしまった。「もう二度と整骨院に行かない」「自分でマッサージ機を買って、1人で生きる」と言い放った。でも泣いてる自分が嘘みたいで、本当に泣いている感じがしなかった。

元カレに「自分がいないほうが整骨院の売り上げも良くなってるし、別れた後の方が個人事業主として成功している」とひん曲がった発想を吐露したが、それは嘘。

本当は、それが事実ではあるんだけれども、だからどうした?相性が悪かっただけで、私は悪魔でもなければ厄払い、抹消されるような、価値のない人間ではないと思った。

確かに相性が悪い人、一緒にいて楽しいと思えない人と長時間接触していると、悪い気が漂って、パフォーマンスが落ちることはある。一般的にそれを下げマンと言うのだろうが、それは過去の自分であってそれを悔やむ必要はないと思った。今頃泣いてどうすんの?

 

元カレのこと、ちょっと好きだったのかもしれない。

「彼女に洋服を選んでもらった」という話を聞いて、途端にひとりぼっち感が強くなり、心が痛んだ。自殺しようかと思った。今回は元カレに「死にたい」と言わなかっただけ成長ポイント。

元カレにも「好意を寄せていた部分は50%ある」と正直に話した。

お花を買ってあげたりしたこと、バカみたいだなと話した。

 

でも、それはある程度予感していたこと。

自分は自分の生活、仕事で精いっぱいで、今の検査レポートを仕上げるには、元カレのことに時間をかけている暇はないのだ。

 

それに、仮に略奪愛で元カレとよりを戻しても、あの宗教に染まった生活様式についていったり、ケチだったり、マザコンだったり、色々嫌だ。

 

元カレは性的なにおいがしないから、とても信頼している。

 

タフになったと言われた。むかついたら、言い返す。

かなしかったら悲しいという。それでいいと思うし、できるようになった。

ラップバトルでアンサーソングを即興で歌えるようになった。

それは自分の成長ポイントだと思う。

 

なんかいい意味で他人に関心がなくなった。

家族を持つ、恋人を持つ、パートナーを持つ、どうでもよくなった。

みんないつか死ぬし。でもそれが怖くもある。いつ自分の心理士や医者が死んでしまうのか、親が死んでしまうのか、恐怖に苛まれる時がある。

だからと言って、焦って結婚してもしょうがないんだけど。

自分の人生を楽しく過ごして、尊敬してもらえるように仕事を頑張っていると、いつかいい人に巡り合えるんじゃないかと思った。

ただし、それが“いつ”なのか分からない、先の見通しが持てないことが不安。

今は精一杯のライフスタイル。仕事も週3だけど週2レポート書いてる。

それなのにお給料は6~9万しかもらえない。どうやって20万稼ぐことができるのだろうか。カウンセラーよりかは、職人スタイルでロールシャッハを極めたいと思う。でもそれはSCやりながら勉強することだってできるよね。勉強はいつでもできる。

 

てか元カレがテレビの感想を書いていて、そのテレビを見た感想に対して彼女がこういった、というツイートを見て、心底気持ち悪いと思った。こんなに私と喧嘩しているのに、私がTwitter見てるって知っているのに、それを書くんだと思って、心底気持ち悪いと思った。でもそのぐらい、私のことどうでもいいと思っているし、彼女さんのことが好きなんだと思った。といっても、私もTwitterに元カレがどうのこうの、と書いているんだけども・・・。

 

最近お腹の調子が悪い。ノロウイルスにかかってから、3週間ぐらいずっとお腹がよじれるような、笑っているような、電気が微量に走っているような感覚がして、気持ち悪い。整体師にそれを話しても「触ると悪化するから病院に行け」と言われた。見捨てられた気がしたけど、その通りだと思ってランソプラゾールを飲んでしのいだ。

その次の日、というか今日の話なのだが胃腸科に行ったら原因は不明だが便秘ぎみなのでおそらくそれでお腹の不快感が生じていること、あまり強い薬を出すと悪化するかもしれないので、漢方を出すと言われ、桂枝加芍薬湯を処方された。飲んでみたらすごく甘くておいしい味がした。今3回飲んでいるが、胃の悪いもの、膿みたいなものが出ている感じがして、便通もよくなってきた(うんこがでたり、おならがよく出る)。

5日分しか出てないので、追加してもらおうと思う。

神田橋処方はこの桂枝加芍薬湯と四物湯を組み合わせるらしい(フラッシュバック対策)。それを母親に話したら四物湯を送ってあげると言われた。

いい先生に巡り合えた気がする。

 

いつ、幸せになれるんだろう。生き急いでしまう。このまま30、40歳になってしまって、高血圧、高脂血症になって死んでしまうんだろうか。もしくは東京に直下型地震が来て死んでしまうのだろうか。なんてみじめな人生なんだろうか。なんにもなれない。焦るだけ。「40歳になったらすべてが解決する」気がしているが、本当にそうなのだろうか。今までは「30歳になったら大輪の花が咲く」と言われていたが、そんなことはなかった。31になってようやく10万円稼げるようになったけど、まだまだだ。普通の人の半分しか働けてない。でも半分は進んだ。ゆっくりだけど、成長しているのは確実。でも成果を確実に出したい気もする。「もう大丈夫」って思いたい。

不安しかない。

他人の目、世間の目を気にせず生きる方法はないだろうか。

タクシー運転手は高齢化していて、年金をもらいながらタクシーで個人事業主としてお小遣いをもらっているらしい。まぁ、それでもいいかと思う。自分も、躁うつ病と診断書をもらって、障害者年金もらいながらお金が欲しい。補助金が欲しい。

今ネットで融資をもらえる方法を調べてしまった。

苦しい、お腹が痛い。

 

お腹がけいれんするようになったのは明らかにノロウイルス以降なんだけども、胃が弱っているのかストレスでけいれんが消えなくなってしまった。仕事で「あと2人、検査が入っている」など、ハードスケジュールの時に急激に苦しくなって、発作的にけいれんが強くなってしまう。仕事がひと段落するとけいれんが落ち着く。けいれんがマックスの時、元カレに相談してしまって、病院に行けと言われて見捨てられた感覚がした。

また来週仕事だけど、行けるかどうか分からない。行けたとしても、また倒れこんでしまうんだろうか。そのためにも漢方が欲しい。あとでMOに連絡しよう。

桂枝茯苓丸でも効果がありそう。日記を書き終わったら飲むか。

 

幸い、うちの勤務先は簡易ベットが検査室にあるのと、大きいバスタオルがあるのでそれにくるまって寝ている。電気を消してバスタオルで胸の辺りを押さえて寝ると、少しけいれんが和らぐ。バスタオル、持参しようかしら。

 

自殺したい。正確には自殺したいというより、この胸の苦しさ、お腹のけいれんから解放されたい。全然よくならない。でも明日にはよくなっている気もする。このほのかな希望しか自分にはない。家族に会えない。カウンセリングは明後日。明日持ちこたえられるのか。明日生きていけるのか。暇な時間を作るのがだめだ。ルーティンを作れ。

朝お茶を入れろ。日本茶だ。諏訪で買った日本茶を飲みなさい。

ミニトマト、紫蘇、レモン、ガジュマルの様子を観察しなさい。芽が出ていたり葉っぱや実がおっきくなっていないか、観察しよう。きっと生命の力をもらえる。

掃除をしよう。洗濯をしよう。散歩をしよう。今の時期はアジサイがきれいだ。

近所のカフェで美味しいカフェオレ飲もう。空いてなければファミマのカフェオレでよい。ちょっとオシャレしてみよう。口紅を引いてみよう。

生きている感覚のするものに触れなさい。隣の小学校に咲いているアジサイを観察しなさい。木々の揺れを、においを感じ取りなさい。

ツイキャスを観なさい。ぼーっと生きている配信者がよい。

 

楽しく、楽しくと強迫的に生きるより、楽しく過ごすにはどうしたら良いのか、現実感のある対処法を考えること。

下着を取り換えるだけで、トイレに行くだけで気分が落ち着くこともあるんだ。

私の場合、なるべく他人とかかわらずに自然に触れたり身体をケアする方が心地よい。

 

諏訪はよかった。5/26,27に諏訪に行った。小渕沢にも行った。黒曜石が取れるらしいけど見れることができなかった。縄文時代の竪穴式住居に入った。岡本太郎が好きだったという万治の石仏も見た。母親に塩ようかんが食べたことない不思議な味と言われて面白かった。ケチャップが美味しかった。諏訪湖は小さいけど落ち着いた気分で観れた。

田舎で暮らしたいと思った。

 

これから元カレが結婚したり、あるいは子どもが生まれたり、B区に引っ越してくるような成功者になったら、自分はその都度報告を受けて落ち込むのか。

バカみたいだ。

 

SUGA君がカッコイイと思った。でもナルシストというか、それに下ネタ言ってきてきもかったのでちょっと置いておく。またご飯食べに行ってもいいなと思った。

でももしかしたら彼氏になるかもしれない。なんかKRUTIさんと付き合う前に感じていた「どうせ付き合うかも」という感覚にちょっと似ている。でも大丈夫なのだろうか。

精神疾患もあり、躁鬱で不安定で、仕事も安定していない自分のこと、好いてくれるのだろうか。そして自分を支えてくれるのだろうか。いや、自分自身のことを支えられなきゃだめなんだけど。でもSUGA君は仕事、自分の好きなことしててかっこいいと思った。これでまた大井町に引っ越したら笑う。痩せたいと思う。痩せる前に自分の生活なんとかしたいと思う。自立して、経済力があって、精神的にぶれない大人になりたい。

 

でも思った。仮に月収20万の生活ができるようになったとして、それが幸せだと言えるのだろうか?幸せってお金をもらえて、どんなに苦しいことがあっても仕事をやり遂げられるようなそういう自立とは違うような、感覚的な豊かさだと思うんだけど、どうだろうか。そしてそれは相関関係にあって、感覚的な豊かさが身に付くと、仕事も順調に進む気がするんだ。簡単に言うと、仕事で疲れて帰ってきても、料理したり植物の世話をしていると気がまぎれて、「さぁ次も頑張ろう!」って思えるような、そういうサイクルが出来る。私が仮に今からSCの募集に受かって明日から行くことになったとして、その「さあ頑張ろう!」「楽しく生きてる」って感覚、失わずに保ち続けていられるだろうか?お金があることや社会的に成功していること、結婚したり傍からみて「成功者」と言われていることを成し遂げたとして、私はあじさいを見て「きれいだな」と思えるような、そういう情緒的な感覚のゆたかさ、退行できる、ふざけることができる、ユーモアがあるような感覚、人生をサーファーのように楽しむ感覚みたいなの、そっちを優先して培わないと、仕事が舞い降りたとしても、どっかでぽしゃる気がする。

そして、その優先順位(豊かに生きる>自立する)がクリアしてないと、なんかある日突然また死にたくなる気がするのだ。

自分は死にたくならないことが目標なんだから。

自分は自分のままでいいって思える感覚、自分のことが好きっていうより「アジサイ見てると夢中になっちゃう」「諏訪にいると時間が忘れられる」みたいな感覚を、毎日ちょっとずつ味わえるようになると、きっと仕事も上手くいくと思う。心理士ってそういう感性が持ち味になるし、逆に息抜きの仕方が分からないとぽしゃるから。

小説家がハチャメチャな人生送って私小説にするのと同じ感覚かな。

銀色夏生さんが楽しい生活を送って、エッセイにして、素敵な詞を書いているけど、あれは植物を綺麗だなと思う感覚がなければ詩人にはなれないと思う。

その感覚、心理士にも通じるところがある。自分は心理士として修業しているのだ。だから全力で楽しめ。きっと楽しんでいる時に、ふと「そろそろ働くか」と思って、急に週5とかで働けるようになる気がする。

大丈夫だ。自分は大丈夫だ。よくやれている。

とりあえず生きている感覚をつかむ。洋服を買ったりする物質的な豊かさよりも、精神的な豊かさをもっと追及したい。例えば中国茶専門店に行ってゆっくりお茶したい。

これからラクーアにも行ってみたい。上野で美術館に行きたい。

さぁ今日はどんなことする?