nekohirokoroom335の日記

何がなんでも楽しく生きるって決めたのだ。

MYセラピストに「自殺したいです。でもお金がありません」とメールした。

セラピストはつけでいいから話を聴くと言ってくれた。ありがたい。

今日の15時。私はちゃんと話せるだろうか。

その時は死にたいと思った・・・と思う。

久しぶりに世界の暗闇に閉じ込められてしまった感じ、飛び降りたくなるような、どっかふと消えちゃいたくなるようなそんな感覚があったと思う。

 

精神科に行ったら薬増やされるんだろうか。

 

きっかけはよく分からないが、博論が急に嫌になって大学の先生に「しんどいです」とメールしてしまったこと(そして先生から「無理しないで」と言われて楽になったと親に話したらキレられたこと)、彼氏に怒鳴りつけてしまったこと、メンタルの不調があることを堂々と伝えてしまったこと(躁鬱とか不眠症とか)、「別れてもいい」とか別れを匂わす言葉を彼氏に発言して困らせてしまったこと、全てが嫌になってしまった。

まず、父親からは「お前の考えてることが分からない」と言われた。博論が順調に進んでいて、もう少しでやるべきことが固まりそうだったのに、急に父親の知らないところで先生にしんどいとメールしていたこと、父親からすれば急に博論をリタイアする感覚に近くて、理解不能と言われた。確かにそうかもしれないが、父親に話していた進捗状況は博論の作業の中のほんの一部で、その他も色々ある。大した作業じゃないけど、その時の自分にはできないと思い込んでた。もう疲れた、締め切りに間に合わないと思って、先生に「限界です」メールをしたわけだ。父親は「そういう風に先生に言うんじゃなくて、締め切りを伸ばすように話をするべきだ」と言った。「確かに気分の波があって、その時は”もう博論無理”って思ったかもしれないけど、やってみないとわからないじゃないか。なんでやってみないんだ」「自分にとっては高い山かもしれないが、登れる山かもしれないじゃないか」と父親に言われた。確かにその通りだ。常識的な、ポピュラーな反応だと思う。

父親の言う通り、気分の波が落ちてる時に、”もうダメだ”と思うと、急にいろんなことがガタガタと崩れてしまって、先生に「もうダメです」とメールしてしまったり、おかしな行動に走る。彼氏にも昔好きだった女の子とやりとりしていないか追及してしまったり、その子のTwitterのアカウントを特定して「もう関わるな」とDMしてしまった。怖くてすぐ鍵かけたけど。前もそういう風に男性とトラブって、とある人に嫌がらせのDMとか送ってブロックされたけど、また今回もそういうことをしてしまった。

ネットのトラブル、一回やってしまったから気を付けたいと思ってたけど、やっぱりやってしまった。根っこは今のストレスフルな状況が改善されないことへの怒りなんだと思う。ストレスフルって博論なんだろうけど。博論がうまくいけば、というか自分の人生がちゃんと上手くいって、躁鬱の気分の波に振り回されず、落ち込んでしまった時も上手くカバーできれば人に攻撃することもなく、穏やかな私でいられるんだろう。

彼氏には「”怒ってるあなた"と、"落ち込んでるあなた"は”素"のあなたではない。違うスイッチが入ったような感じがする」と言われた。”素”という表現が的確というか、妙に心に響いた。素直な私と、普段の私じゃない私がいるのか。どっちも素じゃないのか??と思ったり、あるいは素直な私を認識してもらってるのが嬉しかったり、いろんな感情が湧いた。

 

自分は人格障害なんじゃないかと思う。

特に鬱になったときの自分。というか正確には”もう駄目だ”って思っちゃったあの絶望感というかふさぎ込んで余裕のない時の目が吊り上がってしまった、”スイッチ”が入っちゃった自分。心理学的には形態水準が下がりまくって病的な自分というのだろうか。

逆に軽躁状態の時の方が、メンタル的にはいいんだけど、結果的に鬱がやってくるので意味がない。台無し、全てが台無し。人の信頼を失ったり、行動、やることなすこと信じられないと言われる。親にすら信用してもらえないというのは、苦しい。

自分すら信じられないのに、親にすら信じてもらえないのに、一体何を確信持って信じればいいんだろうか。何を頑張ればいいんだろうか。分からない。この世に確かなものなど何もない。

 

花を生けたり、土いじりをしている時は確かに自分が穏やかな気分でいられたり、自分が自分であると正確に認識できる。でもそれが今回は役に立たなかった。正確には自分が自分でいられる時間を失っていたように思える。やっぱりキャパオーバーしていたんだろうか。別に大した論文も書いてないのに。

 

もっと人間らしい、自分が確かに自分である、今起きている事象、行動、発言した内容、自分がアクションを起こしたことが、確かに自分の意図した、心から正直に「したい」と思えたアクションであることを証明したい。そしてそれがずっとずっと長続きしたい。明日どうなるか分からない、というその日の気分でころころ変わってしまう自分が大嫌いだ。それを回復と呼ぶのなら、周りの人にどれだけ迷惑をかけている回復術なのだろうか。

 

自分にとって気分の回復とはなんだろうか。よくわからない。回復するというのは人に迷惑をかけないとできないのだろうか。

 

カウンセラーはお茶を飲んで一息すること、花を愛でたり料理をすることなど、五感をフルに生かした作業を心がけろ、それを徹底しろという。

確かにそれはいいアイディアだ。

でも役に立たなかった。使い物にならなかった。

徹底できなかったからだろうか。

 

もう彼氏とも別れるフラグが立ってしまった。

博論も書くか書けないかピンチだ。

 

博論はさっき、父親が「こんなに実証的なデータを集められたのは本当に貴重だ。お前はすごいことをしていることに気づけ」と言われる夢を見て、夢の中で期日までに資料を提出していた。だから書けそうだと思った。自分は夢の中で救われることも多い。

父親は応援しているから悲しんでいたんだと気づいた。

でもそれも負担なんだ、ごめんなさい。

でも応援してくれないと書けない自分もいる。なんてわがままなんだろうか。

 

わからないわからない。自分がどうしたいのかわからない。

作業スピードの遅さ、対人関係を築くことの難しさ。気分の波が安定しないこと。

30歳にもなって、中学生みたいな課題を抱えて、一生働けないで、博士号すら取れないで、社会のごみくずになるのか。

彼氏にも捨てられるのか。

自分を守ってあげたい。心から大切にしてあげたい。親が死んでも、彼氏に捨てれても、自分のこと、大切にしてあげたい。

なのにできない。死にたいって思っちゃう。正確には出来そうな気がするのに、いつも途中でトラブルが起きてしまう。

人生ってそんなもんなんだろうか。

 

食い止められない。でも今なら食い止められる。

何をするべきか。

セラピストの言う通り花を愛でて茶を飲むことだろう。

とりあえずプチトマトを昨日育て始めたので支柱をアマゾンでさっき買った。

今日は夏みたいに晴れる。沢山歩こう、半袖で。

 

「友達にこの距離感で接したら嫌われるな」っていうのはすぐ分かるし徹底して守れるのに、彼氏との距離感が分からない。

 

文章にまとまりがないけど、自分はもうやらかしているので、前を向くしかない。

躁うつ病は人に迷惑をかける病気なので回復するたびに罪悪感や希死念慮に襲われる。でも、前を向くしかない。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。

人と関わるのやめて、猫とか犬とかひつじとかと暮らしたい。

もっともっと自分が自分らしく、自分が生きてていいんだって思える場所に行きたい。

自分を苦しめることない楽な世界に行きたい。何をしたらそんなヘブンに行けるんだろうか。ひょっとして気持ちを楽にするように心がけたら、楽になるんじゃないか。

苦しいと思うから苦しいんじゃないか。

ちょっとしたことで苦しい、楽しいって躁鬱感が増幅するのなら、楽しいことにフォーカスして楽しい気分をなるべく維持したほうがいい。

どうしたらいいんだ。でも博論が邪魔だ。でもこのままフェイドアウトするのはもったいない気もする。どうしたらいいんだ。自殺したくなってきた。

 

とりあえずお茶飲もう。また書こう