nekohirokoroom335の日記

何がなんでも楽しく生きるって決めたのだ。

4/8

強風が2日間続いたが、プチトマトの苗から黄色の花が咲いた。嬉しい。

この苗は強い気がする。芯が強いというか。強風でも倒れなかったし。

頑張って一生にまた夏を越そうね!

----

体重計に乗らない生活を続けていたが、ついに10日ぶりぐらいに体重計に乗ってしまった。体重は±ゼロ。ふと気になった時に測るぐらいがちょうどいいのかもしれない。

----

4/6? 

ひまわりの切り花を買った。前彼氏が亡くなった直後もヒマワリを買った記憶があって、同じスーパーマーケットでまた今年も売っていたので「もう一年経ったんだ」と思い、懐かしくなり購入。

----

4/7 

心理士に会いに行く。「生きててもいいんだ」という自信が持てるようになるには40歳ぐらいまでかかるかもと言われた。自分に自信つけるのに40年もかかるなんてな。。。生きてていいんだろうか。ちょっとそれで死にたくなった。でも、生きててもいいんだって自分に許可をすることだから、自分をがんじがらめに苦しめるんじゃなくて、もっと生きている感覚のある、苦しさがから解放された楽しい自分でいいんだと思った。そっか、自分は生きるのが苦しいんだと思った。身体の痛み、腰痛、頭痛、そういう痛みって生きるのが苦しいから痛くなるのだと思う(単純に疲れとか気圧のせいもあるけど)。もっと生きるのが楽しい方向に向かっていいと思う。これは元カレのk君にも言えるんだけど。自分を破滅の道に進める、自殺とか苦しませる方に導いている気がする。もっと、楽に生きていい。自分は十分できている。才能がある。

できていること、自分が楽しいと思えていること、検査が取れていること、もっと実力をつけていいと思う。

大丈夫だ。

----

4/8

仕事が憂鬱だ。また今度は仕事のハイスピードさに追いついていけるか、仕事が分からない時に聞ける人がいるのか不安だ。

荒波の海に飛び込んでいく感じだ。家に仕事を持ち帰っていいというが、どういう形で、どのデータを持っていって、どのように解釈していいのか分からない。

具体的には

①アンケート用紙の処理(点数の見方、ローデータの処理(PDF化?点数はどこに保存?)

②所見の書き方(本人用、専門家用の違い、下位検査まで点数を載せていいのか)

③所見の作成日締め切り

→①・②については先輩に聞く。点数の解釈が分かるマニュアルがあるかもしれない。

先輩が見本の所見を見せてくれるかもしれない。頑張ろう。

当日1時間早く現場に到着しよう。

→③についてはカルテを見て判断して、分からなかったら受付に聞こう。

お菓子も買っていこう。職員さんに少しでも近づけるように。

職員さんの名前を覚えて笑顔で挨拶しよう。

自分は処理速度が遅いんだから、人より早く職場に到着して仕事したり、家に持ち帰って仕事しなきゃだめだ。

頑張ろう。

生きてていいのか、生きてていいんだ。自分の知的能力、言語能力、奉仕の精神、不思議な癒し能力を仕事に使うのは、今のテスターでしか生かされないんだ。自分は天職を出来ているから楽しんで仕事しよう。ただ、仕事量は調整しよう。

----

心理士に「彼の死のモーニングワークはどの程度進んだか?」と聞かれて、「半分ぐらい。半分心の蓋をして見ないようにしている。一方で、旅行に行ったり楽しく過ごせるようになった自分もいるし、仕事もできるようになった自分もいる」と答えた。

立ち直っているようでいない気がする。

これ以上仕事がまた負荷がかかったりしたら、突然死にたいという気持ちが沸き起こってしまいそうな気がする。自分のテーマはキャパオーバーになると攻撃的になったり死にたくなったり焦燥感に駆られることだ。そう考えると彼の死というのは心のキャパオーバーをとうに超えており、生き延びられただけでもよく頑張ったという感じがする。

でも不安だ。整体師の元カレも死んでしまうのでは、心理士もドクターも死んでしまうのでは、という謎の不安感がある。その前に自分が死ぬのではという気もする。

死んじゃうかもしれないという恐怖はなんなんだろうか。生きてちゃいけないと思っているからかな。

----

自分は内省能力が高いからか、出来ないこと、今出来ていないことに対して「今、30点だから不合格。70点以上を目指せ」とゴールに過剰な期待とスピード感を持たせてしまっている気がする。焦る気持ちはもちろんあって当然かもしれない。普通の人は結婚にして子供もいるし。仕事も大体終わっているし。自分はゆっくりなペースで、普通の人よりマイナス10歳ぐらい成長が遅れているのだろう。よく学生に間違えられるし。でも、それでも、歯がゆい思いもしながらも、日々出来たことを褒めてあげたり、嬉しくなったり、そういうちょっとした嬉しいことを日常で噛み締めて「出来たね!」と自分自身で喜んで、自分自身の成長を楽しむことが大事なんじゃないか。

成長の遅さをエッセイにでも書いたら、誰かが評価してくれるかもしれないし。

プチトマトがゆっくり花を咲かせて「嬉しい」って思う気持ち、自分の心にも同じように持って良いと思われる。

----

心理士に「日々の家事や植物の世話などルーティンをこなせ」という指示は結構当たっていて、洗濯をしたり、皿洗い、化粧落としをしていたら気がまぎれた。アップルミュージックのシャッフルのセンスが素晴らしくて、最近はツイキャス垂れ流しではなくアップルミュージックのシャッフル。

----

とりとめもない不安感をただ書き連ねているのだが、読者数というかアクセスが増えていて驚く。こんな散文誰が読んでいるのだろうか。不思議だ。