母親が家に遊びに来てくれた。
部屋がきれい、コップがいい品物、お茶もこだわってる、なにより植物も育てている。
「ちゃんと生活している」感が出ているらしい。
嬉しい。
母親にも話したけど、ご飯を母親と食べたあと、途端に「突然心臓発作が起きたらどうしよう」と思って、急に怖くなった。自分が死んでしまう事実にびっくりして、冷や汗が止まらなくなった。そっか、自分はいつか死ぬんだ!と突然生の感覚に襲われて、苦しくてしょうがなかった。
彼氏が死んでからちょうど一年経つけど、やっぱり自分が彼氏を助けてあげられなかった罪悪感みたいなものと、自分も肥満体型だからきっと同じように発作が起きるんじゃないかという恐怖感とか、独り身だから死んでしまうのでは、マダムも死んでしまう、急に不安になった。自分は楽しく生きていきたいし、これからもっと楽に、肩の力を抜いて、焦らず、腐らず、生きていこうと思っているのに・・・。楽しく生きるという気持ちが50%と、突然無意識的に死の恐怖が押し寄せてきてしまうことが50%で、あまり生きている心地がしない。
もっと楽しく生きていけたらなぁと思う。
楽しくっていうか、力を抜いて、ラフに。でもチャーミングに。仕事も頑張る。
力が入っちゃうのはしょうがないから、それを上手に息抜きする方法を会得して、使えるようになりたい。
自分はこだわっちゃう特性もあるし、なかなか過去のネガティブな体験を、忘れられない。「加害者」というとらえ方をしてしまう。
本当はお互い様なのに。本当はそれほど自分を責める必要がないのに。
まるで「死刑」宣告を自分自身にしているような感覚になっている。
だから身体が痛くなるんだ。
今度から食事に気を付けて、お茶を楽しんで、整体に行って、身体を緩める方法をどんどんマスターしていくぞ!
なんだかんだ自分は楽しく生きてるじゃないか。親の金で・・・。
母親が一つのことしかできなくなってきた。
薬を兄に郵送したら、そのことで終わったと思って報告し忘れる。
兄のところへ遊びに行って、帰り道に父親に報告しない。
兄の部屋でライブ調理したはいいものの、作りかけのものを忘れて帰る。
大丈夫なのか。
仕事のことで精いっぱいで気が落ちているのか、それとも認知機能が本当に衰えているのだろうか。
母親こそ楽に生きてほしい。もっと自分のしたこととかに罪悪感を持たないで、楽しくラフに暮らしてほしい。あったかい人なんだからさ。
明日整体に行こう。だめだったら、歩く。そして器具を使ってストレッチをする。
朝お茶を飲む。
生きてていいんだ。
今日は震度6の地震が石川県であって、その速報がテレビで流れていてしんどかった。
自分はテレビは必要ないと思っている。
栗原はるみの食器がかわいい。
菊の花のマグカップを買ったけど、青って珍しいね、アリウムみたいだなと思って買った。カレー用のまっ黄色の食器も買った。
kintoの茶こしつきのポット買った。
今日から楽しく生きてみない?
母親も帰ったことだし。楽しく生きていいんじゃね?なんのために整体に行ってるの。
よくなるために、生活が楽しくなるため、気が楽になるために行ってるんでしょ。
自分がそのマインドでいなきゃ、よくならない。
死にたい、死にたい、と毎回のようにカウンセラーにつぶやいて、話を伝え返してもらってるのに、一向に良くならないのと同じ。
自分がよくなるように意識を変えるだけでいい。
元カレの整体師もこんなことを言っていた。「腰のストレッチは腰に意識を向けて足を伸ばすだけでいい。コツは足じゃなくて腰に意識を向けること。それだけでよくなる」と言われた。人生みたいだなと思った。
なにか、どこかを具体的に触るんじゃなくて、
意識を向けること。
それって、心にも言える。
死にたいじゃなくて、ラフに生きる。
力を抜いて生きる。でも仕事は真面目にやる。
生きていく方向、より生きていく方向に導くよう、整体を利用する。
それはお金を投資する目的である。
死にたいのにお寿司取っても無駄。
楽しく生きたいからお寿司を取る。
生きてていい、ラフに生きていい。自分は生きてていい。
しかも、ただ生きてるだけでも十分なんだけど、楽しく生きたほうがもっとよい。
自分は今日からそれができる。
友達にも、職場の人にも優しくできる。
患者さんとも適切なアセスメントができる。
自分は誰かの役に立つ。
生きてていい、生きてていんだ。
その代わり楽しく生きろ。