お腹が逆流性のように痛い
怒りすぎてこれ以上怒ることはない気がする
家族がホールドしてくれてる
mturさん電話出てくれる
性的な夢をここ半月ぐらいで3回見る
気持ちいいし不快な感覚はしない。絶頂を迎える時もある。でも今日は職場の女性と性的関係持ってた。めちゃくちゃなシチュエーション。
目が覚めて、起きたら夜中の2時。
身体が興奮しているのか、生きるエネルギーが湧いてきているのか分からない
もしかしたら彼氏できるのかもしれない
今までセックスしたいとか彼氏を失ってから全くなかったのが、夢では見るようになった
でも単純に怒り狂ったエネルギーが性欲に変化しているのかもしれない あるいはその逆か。
生々しい感じが、電気信号が走った感じがする。生きている実感もする。悪い夢じゃない気もするが、何回もあると怖い。自分でも抱えられないエネルギーがあるんだろう。
今まで彼氏欲しいなとか結婚したいなとか思わなかったけど、男性と良好な関係を築いて支えたいな…と思った 嘘かもしれない
刃物を持ち出した後ぐらいから、なんで他者にそんなに怒っちゃうんだろうって、自分の満たされない思いを他者にぶつけたとしても、それが解消されることは現実世界では少なく、むしろわがまま、ヒステリーと受け取られること。いや、わがままと受け取られたとしても、自分が間違っていない、不当な扱いを受けていると自己主張するのもこちらの自由ではあるが、そのエネルギーをもっと利他的な、誰かの手助けになったり人を愛したり、人の役にたつような、仕事に使ったりした方がいいのではと思うようになった。
単純に、怒ることのデメリットがメリットよりも上回ることに、シンプルに気づいた。
あと怒ると疲れる。一旦怒るとスイッチ入るから、その消耗エネルギーが、結局自分の体力、HPを奪ってしまうし、人間関係も破壊してしまうことに気がついた。
やんわり怒ったり、やんわり自己主張したり、何事も100%じゃない方がいいらしい。
自分は曖昧なものが苦手だ。
今日は京急線品川駅のホームで思わず飛び降りそうになった
ちょっと解離っぽい感じ
今だ!飛び込め!って言ってる俯瞰してる自分と、ブレーキかけてるもう1人の自分。
半分夢の中にいる感じだった
でも自分はいつでも芯に理性がある
本当に殺さないし、本当に自殺しないのだな、と思った。ただ解離してるだけ。だから解離もやり過ごすしかないのかなと思う
あー解離してるなぁ、お家帰ろうねー的な別の人格を作ればいいのでは。これが多重人格の始まりか。
面白いことに現実世界では解離が起きているのに、夢ではセックスなど生々しい夢をみる。
なんでだろう。
なんだか混乱している感じ
でも良い方向に向かいつつある感じも直感的にする
自分の人生をどう生きたいのか
mturさんは精神分析のセミナーに属して、o先生のSVを継続して受けてて、ちゃんと自己研鑽していた
自分は何をよりどころにして、誰を尊敬して、何に向かって生きるのか。
ポリシーがない
宗教ではない形での、自分の中の信じる力、直感を信じなければいけないよ
自分は適度に俯瞰して見る力が弱く、あるいは、極端で俯瞰しすぎると解離してしまうし、希死念慮が強くなる 自分を愛する力も弱い 他者に認められないと生きていけない
人間には殺しちゃいけないという感覚的な理解があって、それはどの人間にもインストールされてると河合隼雄が言ってた
だからちゃんと叱るんだと。
私の脳内にも殺しちゃいけない、死んではいけないというルール、最低限の人間らしさがインストールされていて、それは直感的に理解できるし、どんなに解離していても、そこだけは守れる自信はある。
半分わざと刃物を振り回したり、
整骨院の前で倒れている節もある。
でも半分無意識、解離状態でやってる感じ。
ケアしてほしい、気にかけてほしい時にやるんじゃないかな。
自分のワクワクする、楽しいことを追求すればいいんだ
反復強迫の話から、段々と自分の向けていた怒りのエネルギーが、例えば元カレに本当に怒っているわけではなくて、満たされない思いを謝罪させる形で満たしている、それは過去のエピソードに基づいているのだ、と心から理解できた気がする だからその怒りのエネルギーは、他者に向けるものではなく、あぁ怒りたかったんだねぇと自分への理解、慰めに繋がった
ああ不機嫌だったのはお腹が空いてたんだと後になって分かる感じ それを他者に向けてしまった感じ
精神分析の理論は面白いが、具合が悪くなる
でも、怒る気持ちがフツーになったり、生きるエネルギーが沸き起こったりするから面白いと思う。でも生き死にに関わったり、解離が起きるから難しい
でも自分は放っておいても成長する力はあるから、例えばじゃがいもの芽のように。
だから、精神分析的な解釈が、そこまで深く腑に落ちなくても、徹底操作しなくても、直感的にやっぱり怒るのは心地よくないな、感覚としてちょっと嫌な感じがするな、とか、お腹が痛くなるな、とか、そういう感じを意識すれば自ずと良くなる気もする
だからレモンの成長記録など五感をつかさどる日常の話題が大事なんだろう
結論はつけなくてもいいのでは
理論的な乙女座の私、ケアする魚座の私など、一見正反対のキャラクターを持つ自分もいるが、"人を支える"という星であることはどちらも共通している。月と太陽みたいに表裏一体なのではないか。そういうカウンセリングでもいいのではないか。
つまりレモンの成長記録は大事
これいいね、素敵だね、ワクワクするね、って感覚をもっともっと豊かに味わう、深く味わう感じ。これは小説の一言に感銘を受ける感じにも近い。こういう思慮深さが、怒りのコントロールにも繋がる気もする。
なぜ刃物を持ってしまったのかよくわからない
気がおかしかったのか
でも反復強迫な感じもする
カウンセリングも適度に理論を振りかざしたり、適度に感覚的になるのがいいのではないだろうか。感覚的になっている最中に、理論で裏付けられたことが理解できる時も来ると思うから