nekohirokoroom335の日記

何がなんでも楽しく生きるって決めたのだ。

感情がない透明人間になりたいなぁ

なんにも書けない。ブログも博論も。

すごく気分が落ち込む。イライラする。ご飯がおいしいと思えない。

フワフワしためまい、頭と心がつながっていない感じがする。

 

最近はとにかくイライラしてしまって、いろんな人たちとトラブっている。

以下はプチトラブルの一覧だ。

 

①大学の先生

私はここ最近多忙で、某機関に投稿する論文を書いていた。

投稿予定の論文を、とある先生に投稿前に確認してもらったところ、私の文章の書き方がとてもよくなかったらしく、傷つく言い方で「書き方が悪い」と徹底的に指摘された。冷静に考えて、確かに私の書き方は論理性に乏しく、博士課程のくせに論文のお作法をマスターしていないと自分でも思うし、指摘する内容に間違いはない。

ただ、それをまるで私がどうしようもない馬鹿な存在で、呆れたような言い方で非難された(と私は受け取った)。

それで心をやられてしまった。

だから、メールでわざと嫌みのような、わざとらしく、指摘してくれたことを感謝する旨を送り付けて、やり返した(返信なし)。

②元カレ

元カレと些細な出来事をきっかけに大喧嘩になって、第三者がいる前で怒鳴ってしまった。これはさすがに詳細書くとまずいので割愛。

③コンビニ店員

近所のコンビニの店員ともプチバトルになった。私がそばを購入した際に「温めますか?」と店員に聞かれないので、「温めてもらえますか?(怒)」と語気を強め、ムスっとした感じでお願いしてしまい、店員さんがおびえていた。「なめてんじゃねーぞ」という心の声が態度に溢れ出ていたようだ。いつもその店員は態度が悪く、私の中では元から評価が悪かったのだが、最近の私のイライラがMAXになってしまい、いつもなら通り過ぎてしまうことに対して怒ってしまう。

④大学の図書館職員

大学の図書館に文献取り寄せをお願いしたところ、すでに取り寄せ済みなのに連絡が遅れていて、数日間放置されていた。私は急ぎで論文が必要だったため、電話で状況を問い合わせたところ、私が怒っているように思ったらしく、図書館の職員に「申し訳ございません」と謝られた。うちの大学の職員は、学生に対する態度が悪すぎることで非常に有名なのだが、そんな舐め腐った職員ですらビビっているということは、私が相当怖かったのであろう。

 

大体そんな感じだが、もしかしたら無意識的に、他にもいろんな周囲の人々を怖がらせているのかもしれない。

今私が受けているカウンセリングの中でも、自身の攻撃性は度々話題にあがり、「自分自身でも抱えきれないぐらいの攻撃性があるのでは」と心理士からも指摘されているが、最近はなぜだが一時的に攻撃性が過度に高まりすぎて、まるで人を殴ってしまうのでは、いや殺してしまうのでは、と思ってしまう。

そんなある日、ニュース速報でオイルを電車内に撒き散らし、人々を殺そうとした犯人が捕まったと聞く。人々は「あんな奴、死刑にすればいい」と言うし、私もああいった自他の区別ができなくなってしまった、正常な思考ができない人物は処罰が下るべきだとは思う。

ただ、自分と他者の境界線がわからなくなって、まともな判断もできず、相手にイライラをぶつけてしまったり、感情を上手くコントロールできない私は、程度の差はあれど、その犯人と本質的には変わらないと思う。そして、世の中の人たちが言う「死ねばいいのに」という存在に値するのではないか、と思う。

つまり他人を怒ってしまう自分がすごく嫌で、怒ると同時に死にたくなる。

このままこの攻撃性が高まり続けていたら、いつも怒ってる人に思われて誰も近寄ってくれないし、友人もいなくなる。サポートしてくれる人も減るだろう。

 

そういうことを、こないだ心理士に相談した。

心理士は、私が攻撃性を心の中にずっと秘めており、自分を押し殺してきたが、それが今解放されて、自分らしく生きていく過程にいるのかもしれない、と言っていた。

ただ、その攻撃性の出し方が、いままで我慢していた分、上手く発散することができず、ワーッと相手にぶつけてしまったりするのではないか。そして、今はその攻撃性をちょうどいい感じにする練習中で、一時的に攻撃性が高まっているだけかもしれない、と述べていた。

心理士の見立ては私をホッとさせる。病的なものじゃないんだ、って思えた。

ただ、怒りのコントロールの練習を30歳になってようやく始めたなんて、なんて私は成長が遅れていて、人に迷惑かける存在なんだろうか。普通の人は子どもを産んで、子どもに怒りのトレーニングをさせている段階なのでは?

まだまだ精神年齢が中学生ぐらいで止まっているのかもしれない。

でもこの怒りのエネルギーをうまく発散するというか、一時的に「カッとなりそうな自分」を避難させる対処法があるといいなと思う。

まだ人間に対してうまく怒りを表現することは苦手なので、自分がリラックスできたり楽しいと思うことに、エネルギーを有効活用したい。

その例として、とりあえずイライラを抑えるために、謎のハーブティー中国茶を飲み、近くの花屋さんでかわいい花を買って、ケーキを食べた。

一瞬収まったけど、やっぱりイライラする。

だから今度は音楽を聴いた。聖歌やビヨークの歌を聴いてみた。落ち着くし、ビヨークのユニークさ&スピり具合が最高だった。ちょっと落ち着いた。

こうやって、ちょっとした自然に触れあったり、スピリチュアルなものに触れるのは私が癒される瞬間かもしれない。さらに、文章に書き起こすのは私の得意なこと。

今ブログを書いていて、少しイライラが収まった。

こうやって、なんかちょっとしたことで幸せを感じたり、ふと安らぐ瞬間をこまめに味わう良い癖をつけないと、あかん気がする。

 

今度大学時代の友達と夜ごはん食べる。楽しみだけど、友人の些細な一言で傷ついたり、落ち込んだり、攻撃的になってしまわないか、とても不安である。

それに、そもそも当日ドタキャンされたら、それはそれで悲しいし攻撃的になりそうで怖い。

楽しく、仲良く、緊張せずに誰かとお話したいけど、まだ人間と関わるのはちょっと怖い。

 

うー。

感情がない透明人間になりたいなぁ。そんなことを思った。