nekohirokoroom335の日記

何がなんでも楽しく生きるって決めたのだ。

傷つきやすさ200%の自分を愛しちゃおうよ

あのね、お母さんから「働くことは考えなくていい。ただし、今の生活に終止符を打ちなさい」と言われた。続けて「東京に続けて住んでいいから。その代わりに、死のうと思わないで、楽しいことを毎日してくれればそれでOK」と言われた。

思わず涙がこぼれてきた。そんなこと言ってもらえること、本当にうれしいし親の理解があって本当によかった。でも、かといってこの年齢になると、働く=自立=楽しく生きることでは・・・?と思い、母親に尋ねた。

「働かないで幸せになることは可能なのか?毎日楽しいことをできたとしても、働かないと皆に冷たい目で見られる。馬鹿にされるのではないか。そして、楽しいことをしていても、将来的に働かなければ、前に進まないのでは?」と聞いた。そうしたら「いや、働かなくても、楽しそうにしている人のそばに人は寄ってくる。それはお母さんが60年生きてきて確信したことだ。だから、働くとか、経済的に自立することはいったん置いといて、”幸せに生きる””毎日を楽しむ”ことに全力を注げばいい。そうしたら、自然と声をかけてくれる人もいる。それが仕事につながることもある。だから楽しむんだ。絶対それを守ればハッピーになれるから。お母さん約束する」と言っていた。これも泣いてしまった。「今だって、近所のマダム(※度々この日記にも登場する人物)に可愛がられてるじゃないか。マダムにしてみたら、孫みたいで居てくれて助かってると思う。そうやって、居てくれるだけで力になる存在もある。あなたは将来おじいちゃん含め家族の世話を手伝ってもらう日も来るかもしれないし。そうやって誰の役に立つ日が来るかは分からない。今だってすでに役に立っている。だから自分が価値のある人間だと思って楽しめばいいんだ」そう言ってくれた。泣いた、わんわん泣いた。

私は母親の半分しか生きてないから、働かずに楽しんで生活することは果たして実現可能なのか、そこがまず分からない。半信半疑だ。そして、仮に楽しめたとしても、傍から見ると”無職が遊びほうけてる”ように見えないか?そして、そんな人に好意を抱いて近寄ってくれる人はいるのだろうか?

でも母親が「絶対ハッピーになれる」と言ってくれたので信じてみたいと思う。親の言うことは大体当たっているものだから・・・。そして、ハッピーになるために、今の生活に少し終止符をつける必要は確かにあると思った。

博論を片づけるか・・・。それとも退学するか・・・。迷いどころだ。

~心の声をしばらくお聞きください~

(いや、迷ってる場合じゃなくて博論をやった方がいいに違いない。でも、やりたくない。どうしたらいいんだ。いや、やれよ。でも、手が動かないよ、死にたくなっちゃうよ。じゃあ働けよ。無理だよ。自分は社会でやっていけないよ。じゃあ何すんだよ。分からないよ。自分でも分からないよ。でももうこの生活嫌だよ。お母さんの言う通り、楽しく生きたいよ。じゃあ何とかしろよ。何すんだよ・・・(以下永遠ループ))

 

ああ。でも迷ってるけど光のある方へ迷ってる感じがした。

母親の助言はいつも支えになる。光のある方向へ導いてくれる。

だから間違いないんだ。でもその決断・・・しなきゃ・・・。

修士の時だって、何回も退学しようとしたけど、結局1年留年して立派な論文が書けたじゃないか・・・。その時も母親が助けてくれたんだ・・・。

今やるべきことをしっかりやりなさいって・・・。

だからその時と一緒だ。また繰り返してるだけかもしれない。その困難の山が大きく見えるだけかもしれないなぁ。自分が思うほど、意外と登ってみたらイケる山かもしれない。

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クリスマスは一人で水族館に行きました。海が見える葛西臨海公園

最高だった。クリぼっち史上、最も楽しいクリスマスだった。

いつも引きこもってるから、自然や生き物に触れあうことが久しぶりで、すごく楽しかった。自分の悩んでることがちっぽけに見えて、もっと感覚的に、楽しいことをたくさん経験したいなと思った。背中に憑いてる重荷みたいな、幽霊みたいなものがどっか逝った。死んでくれた。なんか常にリュック背負ってるみたいな背骨の疲れ・緊張感があったんだけど、一気に取れた。普段、よっぽど肩をすぼめて"何かに怯えて"生きているんだと実感した。もっとラフにラッパーみたいに楽しく生きてこうよ。来世はラッパーになりたい。

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母親に愛のあるお説教というか、助言をもらったあと、近所のショッピングモールに行って、可愛い春のお花とぬいぐるみをゲットした。

お花は、マダムから頂いた八角形のジャム瓶に入れて飾ってみた。

ぬいぐるみと一緒に添えるとキュートね。写真何枚も撮ったわ。

もう、愛しかない。愛しかないっしょ。躁状態だとしても、うつ状態で死にたくなったとしても、愛しかない。

もう自分の社会性のない&傷つきやすさ200%の自分を愛しちゃおうよ。

精神年齢、3歳。そんな自分もかわいいから。どんな時も側にいる大事な自分だからね。かわいがっていこうね。

 

近所のマダムがお誕生日を迎えた。76歳になった。

素敵なジュエリーを身に着けて、髪も綺麗に巻いて(ティファニーのイヤリングがさりげなく見えるように)、マダムは待ち合わせの場所に現れた。

一緒に上野のデパートに行って、夕食を食べた。デパートの入り口で売っていた花束と小さなテディベアを見ていたら、マダムがそれを欲しそうに目をキラキラさせていたので、私が購入してプレゼントしてあげた。マダムは「えぇ!本当にいいの!?ありがとう!」と目をハートにして喜んでくれた。すっごい喜んでた。

 

私は正直学生なので、お金がすっ飛んでしまってトホホという感じなのだが、マダムが喜んでくれて嬉しかった。それと、もうマダムは後期高齢者で死が間近に迫っているのにもかかわらず、自分が生まれたことをハッピーと思っているし、もっとこれからもハッピーに生きていきたい、という風に感じられた。

こういう生命力に溢れている人と一緒にいると、私とは正反対だなと思う。

「今すぐ飛び降りたい」と思ってしまう私と、「来年の77歳も楽しむ!」と笑顔でいるマダムは対照的だ。でも、マダムみたいに未来があると思って生きている人の方がなんかいいなと思った。例えば、私みたいに「今すぐ死んでやる」って言っている人に対して、お花を買ってあげようとか、何かをプレゼントしたいとは思えない。マダムにお花を買ってあげたいと思ったのは、喜んでくれるだけでなく、これからも楽しい出来事を沢山重ねていきたいな、と思ったから。そして将来”生きてる”姿が目に浮かぶから。きっとこの人はあと数年は生きてるだろうな、ってなんとなく分かるから。

私はそういう将来も安定してハッピーに生きてる感じがないんだと思う。

今を生きるだけで精一杯だし、明日飛び降りてるかもしれないし・・・。

でも、マダムみたいに安定感のある楽しい人になりたい。そうしたらきっと周りの人たちもハッピーになれるし、ハッピーな人たちが集まると思った。類は友を呼ぶからね。

 

昨日は夕方に眠剤を飲んで夜6時には寝ていた。12時間近く寝たけど、やっぱ精神落ち着く。でも死にたいって薄っすらした感情は常にある。

こいつをやっつけたいけど、多分一生無理なんだろうなー。

朝だけなぜか元気が出てくるようになった。

でも、日内変動があって、6時間経過したお昼過ぎから疲れ切ってしまい、うつに転じる。昨日も、お風呂に入って髪も綺麗に巻いてネックレスも付けたのに、そのまま寝てしまった。外に出る気力がでなかった。

昨日、自転車で近所のスーパーに行った。その行き帰りの道で2回も自転車や人とぶつかりそうになり、もう少しで接触事故になりそうだった。

別に速度は守ってるし、前方をよく見てるつもりなんだけど、横から飛び出してくる人が多い。こういう接触事故になりそうな危ない瞬間が、この1週間、5回くらいあった。正直、自分のせいとは思えないんだけども、かといってこの事故寸前のヒヤヒヤする体験を1週間で5回も体験するとか異常でしょ。あたし死ぬんかな。

自殺する人の兆候として「交通事故に遭いやすい」という話をよく聞く。無意識に、自分を破壊させるような行動をしてしまうらしい。

私も気づいてないけど自己破壊的行動をしているんでしょうか。

怖いな。死んじゃうのかな。

 

カウンセラーに会いたくない。死にたいというとろくなことがない。かといって、嘘をついて日常で起きたハッピーな出来事を話すつもりも毛頭ない。

とにかく楽になりたいのに、楽になれない。苦しいカウンセリングが続いてる。

 

今日のカウンセリングで話したいことは、

・おじいちゃんの介護で地元に帰ること

・介護という役割を与えられて、少し気分が落ち着いたこと

・母親が精神的に不安定な状態であること

・大学の方針がいい感じかもしれないこと(教務と研究課)

・ピアノを買ったこと

・自転車事故に巻き込まれそうになり、命の危機を感じたこと

・イライラが止まらなくて、友達とうまく話せるか不安

・このセラピーに意味を感じないこと

・セラピストの欺瞞を感じること(褒めればいいと思ってるところがムカつく)

・寝ると精神が割と落ち着くこと

・自分のアパートが遺体安置所みたいで楽しそうな部屋じゃないこと(生きてる感じがしない)

・楽しく、ラッパーみたいに生きたいこと

・友達にネイルのプレゼントあげたいこと

・バイトしようと思ったこと

・論文頑張ってみようかなと少し思えたこと(20%ぐらい書く気がある)

1週間眠り続けた。夜6時に眠剤を飲み、夜9時に就寝、朝8時起床。

つまり、1日10時間睡眠をこの1週間行ってきたのである。

結果、めちゃめちゃうつ状態が回復した。

私の主治医は「1日10時間必ず寝ろ。そうしたら躁鬱は必ずよくなる」と口癖のように言っていたが、ようやく体感として分かってきた。医者の言う通りだった。

8時間睡眠だとあまり疲れが取れない。そしてうつも良くならない。自殺願望出てきちゃう。やっぱ10時間だな・・・。

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人生もうちょっとやってみたい気持ちが芽生えてきた。

生きてみたい、感動に触れてみたい、いろんな人とお話したいと思ってきた。

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単純に私は疲れていたのかもしれない。

身体が弱く疲れやすいのであれば、寝て体力を回復させるのが一番だ。

あれこれ解決策を頭の中で考えなくてもいいのかもしれない。

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クリスマス~お正月はおじいちゃん家で過ごすことになりそうだ。

おじいちゃんと過ごせる最後の冬休みになるのかもしれない。

今まで死にたいと思ってきたけど、おじいちゃんの介護や病院の付き添いなど、何か家族のために奉仕活動をするのは、生きる理由がひとつ見つかった気がして嬉しかった。神様から”生きろ”と言われた気がした。

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大学の教務課とプチバトルしてたけど、ちょっと和解というか、希望が持てる解決策を向こうが提案してきて、ちょっと生きた心地がした。

(大学を退学するかの瀬戸際だったが、教務課が色々と配慮してくれた)

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ちょっと平和な気持ちが戻ってきた。でもまた死にたくなるのが怖い。自分でもこの気分の波がコントロールできないのがつらすぎる。自分でコントロールできない病いだからしょうがないとしても、次に大きなうつ状態に転じたとき、また人に死にたいと騒ぎ立てたりするんだろうか。いつまでこんなことをやっているんだろうか。

脳に電流をビビビと流して、躁鬱を良くしたい。電気けいれん療法って効くんだろうか。カウンセリングなんかより即効性がありそうだけど、どうだろうか。

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友達にクリスマスプレゼントあげたい。

ネイル好きな友達に似合う色のマニュキュアあげたい。

人を喜ばせたいという謎の気持ちが芽生えてきてしまった。躁状態だろうか。

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そういえば、こないだ夢を見た。

精神科の主治医に「私、何点?」と聞いたら、「65点」と言われる夢。

何に対しての点数なのか不明だが、なぜか「平均の50点より高くてよかった」と安堵し、嬉しい気持ちになった。意外と傍から見ると、普通の人より上手くやれてるところとか、能力が高い部分があるかもしれない。そして、意外と人生をちゃんとやりくりしているように見えるのかも。それは、嬉しいことかもしれない。

「死にたい」気持ちに囚われていたけど、意外とちゃんと生きてるのかも。

そしたらもう十分でしょ。合格。頑張ってますんで自分はOKです。よくできてます。

 

そんな感じ。元気になったので本来ならば論文を書かなければならないが、それはまだやる気がでない。書きたくなったら書きますわ。昨日もちゃんとお風呂入ったし、やるときはやるんで。

 

ちょっと生きてみるぞ。

zisatsu sitai.jisatsu sitai.自殺してー---------。

無理だ。精神が無理だ。

お風呂に金曜日から入っていない、今日火曜日。つまり4日間入ってない

頭かゆい、でも入る気しない、でも入らないと痒くて目が覚める。頭がイライラ、もやもやするからさすがに入る。でも入りたくない。こんな日に限って雨が降って東京は真冬並みの寒さ。

生きてる感じがしない。生理前だからだと思う。生理が予定日から1週間遅れてる。

思い当たるのはストレス。ヒステリー起こしてたからそりゃあホルモンバランス乱れるわ。

本当はビジネスホテルに3泊ぐらいしてこの家から脱出したい。缶詰になって論文書きたい。でもお風呂入ってないから身なり汚いし、荷造りすんのめんどいし、寒いし、途中で生理きちゃったら最悪だから何も動けない。イライラする。食欲が止まらない。自殺したい。耳がよく聞こえない。耳閉感がある。飛行機に乗ったときに気圧で耳がツーンとなってよく聞こえにくいあの感じに似ている。自分は体調が悪い時、耳がまず最初におかしくなる。耳がいかれた時は精神も大体いかれてるんだ。

 

どうしたらこの精神不安定さに巻き込まれず、苦しまなくてすむんだろうか。

はやく眠剤飲んで寝たい。でも風呂入りたい。歯磨きもしたい。でも風呂入れない。

どうしよう。いらいらいらいらいらいらりありあああああああああ

 

まずは歯磨きして、スモールステップで気持ちを整える。

 

遺体安置所のような部屋を改造したい

自宅に元カレを招き入れてしまった。

罪悪感が脳裏に横切る。

「また」呼んでしまった。

これだったら風俗とかプロの人にお金払って来てもらった方が全然割り切った関係でいいのになぁと思う。

使用済みコンドームが気持ち悪すぎて、吐き気がした。私のアパートはゴミ置き場が備え付きなので、即捨てに行った。

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元カレを駅まで見送って自宅に着いた瞬間、自分の家の綺麗さに腹が立った。

自分の家は、比較的掃除が行き届いており、ホワイトで統一されている。

家具もちょっといいメーカーのを使って、お花や絵も飾って、それなりに素敵なレイアウトだ。

なのに、なのに、ここで暮らしていると息が詰まりそうな”悪い気”が漂っているのだ。なんというか、遺体安置所のような無機質さを感じてしまう。"普通の人"のお家なら、きっと家族やパートナーの写真が飾られていたり、ディズニーランドで買った人形が置いてあったり、自分の好きなアニメのフィギュアや楽器などが置いてあるだろう。しかし、私の部屋には、そういった"自分の好きな物"が全然ない。いや、確かにかわいいお花が飾ってあるけど、義務的に飾られていて、"この家で楽しく暮らしています!"という雰囲気が全くない部屋なのだ。なんというか、ザ・うつ病の部屋という感じで、確かにこんなところに横になっていたら本当に死んじゃうなと思った。

一瞬、「大きめの観葉植物を置いてみようかな?」と思ったけど、そういう問題じゃないんだろうな。もっと、生活感のある”楽しく生きてる感じ”がするお部屋にしたい。

とりあえず明日は電子ピアノが届くので、それを部屋に飾ると、一つ生活感が増すかもしれない。でもそのピアノを心から楽しく弾けなければ意味がない。

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セラピストとの面接が今週末にある。正直行く気がしない。それはピアノが結構お高めの値段をしたから、面接費用を抑えたいというのもある。でも、本当の意図は"セラピストがいなくても楽しく生活したい"のだ。例えばピアノが一生の友達になれば、きっとセラピストなんていらない。セラピストがいない生活をしたい。そんなこと自分には可能なのだろうか。

私はセラピストに対して甘えている。「死にたい」と連呼して、内心困らせているのも一つの甘えだろう。例えば今セラピストが倒れて死んでしまったら、私は「死にたい」と打ち明ける相手がいなくなるので、きっと新しい生活をそれなりに見つけるんだと思う。いくら「死にたい」と言って、セラピストが親身に受け止めてくれたとしても、いや、受け止めてもらうほど、結局セラピストは何もしてくれないことに気づく。セラピストは話を聴く専門家だ。死ぬことをSTOPさせる専門家ではないし、働けるようになる魔法を教えてくれる専門家ではない。だから、私はいくら相談したところで、究極的に孤独だし、1人で責任をもってこの世の中を生きる必要がある。もし、それができなければ自殺すればいいわけだけど、きっと私にはそれができない。本当に死にたかったら実行してるわけだから。だから、どうせ1人で生きていかなきゃいけないんだったら、セラピストに「死にたい」と言うために交通費と面接料を払うのは馬鹿みたいだと思った。もっと、自分にプラスになるお金の使い方をしたいと思った。

これは前から思っていたことだけど、最近強く感じる。

 

もっと外に出るべきだ。動こう。本当は自分も論文をバリバリ書きたいんじゃないだろうか。書こうと思えば馬鹿力で書けるんじゃないだろうか。

自分にはできる。何かわからないけどきっとできる。そう信じて生きてみる。

とりあえずちょっとだけ投げやりにならないで、"楽しく生きる"ことを目標に生きてみたい。時々無性に死にたくなるとしても・・・。