nekohirokoroom335の日記

何がなんでも楽しく生きるって決めたのだ。

いい方向に向かいたい

あんまり日記に書きたくないんですけど・・・。おじいちゃんが大腸がんになった。ステージは3か4ぐらい(ほぼ確定情報)。

私はついこないだまで便秘に苦しめられており、下剤を飲んでなんとかやり過ごしていた。その一方で、おじいちゃんも便秘に苦しんでいた。しかし、おじいちゃんは血便。ただの痔だと思いつつ、念のため病院で精密検査をしたらガンが見つかったらしい。

泣いてしまった。私は普段便秘じゃないし、痔の経験もほぼないので、このシンクロニシティにもびっくりしてしまった。おじいちゃんの「助けて」というメッセージだったのかもしれない。

おじいちゃんと私は本当に仲が良くて、二人きりで旅行にも行ったし、私が博論を書き終えて世の中で活躍することを楽しみしていてくれた。

でも、正直おじいちゃんが生きている間にその夢は叶えられないと思った。

普通だったら、「おじいちゃんが喜んでくれるように(安心できるように)、博論頑張ろう!」と奮起するんだろうけど、私はまだそのモチベーションまで到達してない。ただただ、悲しい。悲しいのにおじいちゃんのためになるような行動が起こせない。

自分は馬鹿だと思う。向上心がない。投げやりに生きている。

これから入院してガン治療が始まるんだろうけど、その病院の付き添い・お見舞い・入院の手続きとか、きっと私も手伝うことになると思う。

博論を進めながらおじいちゃんのケアもする。そして自分のセルフケアもする(自殺しないように気を付ける)。

そういう状況です、今。

-------

苦しいけど、生きていることの重みというか、自分がこうやってブログに文章を書けているのも当たり前のようで当たり前じゃないのかも、と思った。

自分だっていつ死ぬか分からない。でも投げやりじゃなくてちゃんと楽しく生活したいと思った。おじいちゃんの死がリアルなものになったとき、私の「死にたい」という気持ちは徐々に薄らいでいった(でも薄らいだだけ。根底に”死にたさ”はずっとある)。死んでる場合じゃないというか、おじいちゃんを看取ってから死ななきゃと思った。そして、必然的におじいちゃんだけではなく、両親や兄が先に死んでから自分も死にたいなと思った。最期まで一緒にサポートしたいと思った。

-------

おじいちゃんのガンが発覚する数時間前に、自宅で簡単に弾ける電子ピアノを購入した。普通のピアノより小さいサイズ感だけど、なんだか楽しそうだと思った。

友達にバンド組もうって誘われたのも購入した理由の一つ。

普通のピアノは真っ黒だけど、私は真っ赤を選んだ。

値段は18000円もした。いつも通ってるセラピーが1回6000円なので、セラピー3回分のお値段になる。高いね。でも、毎週のようにセラピーに通って「死にたい」と連呼しセラピストを困惑させるぐらいだったら、ピアノを弾いて楽しく生活したほうがよっぽど健康的だと思った。これが趣味になるといいなと思う。

なにか夢中になるもの、楽しいって思えるもの、こころがしんどくなった時に気持ちを切り替えるものに出会いたい。

-------

 昨日のセラピーでは、心理士から「あなたの"死にたい"という感覚を、もう少し説明してもらえる?」と言われた。私は「周りから石を投げつけられて、痛いし身動きが取れない感覚。しかも集団リンチみたいに囲まれて大量の石が投げられる」「道端に咲いている花が私だとしたら、それに気づかない人たちに足で踏みつけらる感覚」と表現した。

 心理士は「その”石を投げてくる””足を踏みつける”何者かについて説明できますか?」と再度質問した。私は「普通に社会で働いてる人。うまく世の中に溶け込んでる人。その人たちは、悪意があって私を傷つける人と、悪意はなく傷つける人と半々」と説明した。

 そうしたら、「あなたは人より傷つきやすく繊細なのかもしれない。その分、働くとなると、人に気を使ったり思い悩んだりして、強く痛みを感じやすく、死にたくなるんだと思う」と心理士に言われた。

 続けて、「そういう意味では、大学に残っているのは、あなたにとって安心できる場所だからかもしれない。そして、博論を書き終えて卒業するのが本当は怖いのかも」と言われた。その通りだと思う。前からそう思ってたことを言葉にはっきりされると、「当たり前じゃん」と思う一方で、「そうそう、それで苦しんです」と胸を張って言えるからちょっと良かった。

 そして心理士は「人より疲れやすい分、フルタイムで仕事しなくてもいいと思う。ちょっとバイトして、社会と接点を失わないようにすればいいのでは?大学との縁も完全に切らなくていいと思う」と言った。私もそうしたい。でも、そんなことできるのかな。フルタイムで仕事しないで一体どこで衣食住を満たしていくの?「私は3年後、どこで何をしているか全く想像できないし、生きてるかわからない」と心理士に言っておいた。軽く反抗してやった。ちょいムカついた。心理士は「いや仕事は必ずあるしきっと働いている」と明るい見通しを伝えてきたけど、そんなことはどうでもよかった。

でもこうやって話を聴いてくれる心理士さんも、いつかおじいちゃんみたいに病気が見つかって死んでしまうんだろうか。そう考えると反抗して「死にたい」とセラピーで言っている自分がバカみたいに思えた。

いや、正確には反抗しているわけではなく、単純に"死にたい"から"死にたい"と言っているだけだけども、「死んじゃダメ」という方向性で会話してくる心理士にムカついている自分もいる。なぜ安楽死モルヒネの使用は許されるのに、自殺は許されないんだろうか。"個人の自由じゃないか"と問い詰めたい。でもそんな「死んじゃダメ」と言ってくるセラピストにムカつきながらも、お金を払い通っているのは、私も心のどこかで死にたくないのかもしれない。

ここ最近”死”についてずっと考えている。いい方向に向かいたい。

 

猫背が治った

今とても精神状態が落ち着いている。

可愛いネックレスまで買ってしまった。

美容院にも行きたいと思い始めた。

 

---最近の私---

やっぱり人から支えてもらう体験が自分の救いになるようだ。

自分が最近困っていたこと(対人トラブル)をいろんな人に話したら「全然大丈夫」「大したことない」「(その人との関係は)上手くいかなくて当然」といった内容をみんながしてくれて、とてつもなく安心した。

正直、第三者を通してトラブった相手に謝罪してほしい気持ちや怒りでいっぱいだったけど、そういう気持ちがゼロになった。困っていたことがすべてどうでもよくなった。もちろんいい意味で。

相手が謝らない・私を無視することも、一つの権利だからそれでいいのだ。そして、私はその人に直接文句を言えたからそれでいいや。もう満足した。

次に進みましょうね・・・。

------

こないだ勉強会で久しぶりにお会いした恩師には、私が成長したor元気になったと思われたようだった。「昔よりも背筋がまっすぐしてて、猫背じゃないね。体調もいいのでは?」と言われた。正直、恩師に姿勢までチェックされてるのに若干引いたけど・・・(笑)すごい発言だわ。さすが。

その恩師には背筋が悪いことを数年前から指摘されていて、「緊張や不安が高い→身体が硬直し猫背になる→体調不良に繋がる」という悪循環が私の特徴の一つと心配されていた。だから大学内で会うと、挨拶代わりに肩のマッサージをしてくれるおせっかいな先生だった(でも、その"おせっかい"が私にはすごく嬉しかった)。

そんな身体の心配をしてくれる先生が「猫背がよくなった」と言ってくれた。ある意味衝撃的だった。遠回しに「元気になったね」って言いたかったのかな?と思った。

私は最近いろんな人と喧嘩したり怒りのコントロ―ルが難しく、また希死念慮にも悩まされていた。でも、久しぶりに会った人から見ると、意外と元気そうに見えるのかもしれない。それは、違った側面から見ると、自己主張性や精神的なタフさが芽生えてると捉えられるのかもしれない。きっと先生にはそれが伝わっていたんだろうなと思った。

なんか嬉しかった・・・。アイアムハッピー・・・!

 

そんなハッピーな気持ちでいたら、学部時代のサークルの友達から「バンド組もうよ!」と連絡が来た。先生とお会いした次の日だった。

こうやって30歳になってもバンドできるって最高じゃんと思った。

もう少し、生きてみようと思った。

そしてこんないい人たちに恵まれてるんだから、人を恨んだり殺そうとしないで、もうちょっと優しさにあふれていたいと思った。

------

いつも「あと1か月はとりあえず生きてみよう」って感覚でなんとかやり過ごしてきたけど、今は「あと1年、頑張ってみよう」に変化してきた。

でも躁鬱なんで、また嫌なことが重なると「今すぐ死ぬ」にコロッと変わっちゃうんですけども。それでも、なんとか生きたいと思う。

連続でいろんな人たちに相談乗ってもらったり、気晴らしに外に連れてってくれたり、とても素敵な日が舞い込んだ。

死んじゃだめだというメッセージだと思った。

油断しちゃいけないけど一瞬油断させてください

いつも可愛がってくれる近所のマダムがいる。

昨日、突然マダムからTELがきた。天気がいいから、近所の日本庭園に行こうと誘われ、自転車でGO。

そのあとサイゼリアでワインを飲みながら私の人生相談とどうでもいい愚痴をお互いしていた。

 

---サイゼリアにて---

マダムにちらっと「東京にもう住めないかもしれない。論文の提出が間に合わない。大学辞めるかも」という話をした。

マダムはずっと下を向いて考えながら・・・「今好きな人はいるの?」と。

私は結婚したほうがいいらしい。

就活や論文に力を入れるよりも、まずは男を探して(手に職のある男がいいらしい)、その男の仕事を手伝う形がいいとアドバイスされた。

要するに"普通"の"お勤め人"は向いてないというのを見抜かれたのである。

さすがマダムだ。

「もう30歳で結婚適齢期だから、婚活しなさい」とアドバイスされた。

 

ある意味で正しい。私はマトモに働けないから、誰かに護ってもらう生活は確かに安心する。

でも結婚するには私の精神異常を治さなければ、意味がないのだ・・・。

こんな精神異常者と結婚したいわけがないだろう。

でもマダムはそれすら見抜いた上での発言だと思う。

要するに結婚するためにはちゃんとした人にならないとね、というアドバイスでもあるのだと思った。

奥が深い・・・。

 

でも私は少し元気になった。マダムはいつも突然電話してきて、「知り合いがやってるバーが営業再開したから、飲みに来ない?」「私の手作り料理、一緒に食べない?」など、お誘いしてくれる。そういう時は私が大概精神的に煮詰まっていて、”あ~人生キツいわ、死のうかな”という状況なので、TELが来ると「テレパシーで通じ合ってるのかな?」と錯覚する。そのぐらいシンクロニシティが起きるのだ。

このマダムにはとても救われている。でもなぜ私のことをこんなにかわいがってくれるのか分からない。いつかふっと消えちゃうのかな、と思うときもある。

でもこういう風に可愛がってくれる人もいるから、"死んじゃダメだ"というより、"死ぬのはもったいないな"と思った。"死んじゃダメ"というのは自分に禁止をかけており、それも息苦しいけど、"死ぬのはもったいない"という発想はなかなかいいじゃんとは思う。でもこの高揚感はいつまでも続かず、きっと嫌な目に遭って苦しむんだろう。

 

今日は大学時代ずっとお世話になっていた恩師に、勉強会の一環でお会いする。

事前にアポイントを取って、私の今後の進路について先生にご相談したいと伝えている。先生は即座に私の危機状態を察知したらしく、相談する時間を勉強会とは別に設けてくれた。本当にありがたい。私の中でマジで恩師。恩師すぎてたまんない。

ありがたい。

 

ただ、占い師からは、来年からネットワークの年になると言われた。縦のつながりより横のつながりを大切にした方がいいらしい。私もいつまでも”せんせー!せんせー!”と大学関係者とつながっていないで、外の社会に目を向けたほうが良いのかもいしれない。そんなことを思った。でも、とにかく危機状態(死んでしまう恐怖、人を傷つけてしまう恐怖)からは脱することができて一安心だ。

両親からは「お金を稼いで自立することを、あなたには最初から期待してない。その代わり、"死にたい"と思わず、"楽しく"生きてもらうこと、そして身体に気を付けて健康でいてくれれば、それでいいよ」と言われている。これも本当にありがたい言葉だった。なんか今までの自傷他害したくなる衝動的な自分がスゥーと消えた。

よかった、よかった。

でもよかった、と安心してたら次の不幸がやってくる。こわいぞ。

 

油断しちゃいけないけど一瞬油断させてください。そんなお話でした。

 

いや~今週やらかしたねぇ~

心理士さんにもメールで「死のうと思ってます」って送ってしまって、今週緊急で、2回も相談に乗ってもらってしまった。

「やらかした」という気持ちでいっぱい。

親には「やらかした」ことによって、もう仕事にありつけないだろうと言われている

こんな非人道的なことをする人が、人の支援なんてできないとのこと。

 

この件で苦しみ、体重がかなり痩せました。3日間で、2、3kgぐらい。

そして突然の便秘に襲われました。

神様からの罰でしょう。

占い師からはいろんなアドバイスをもらったが、事実をなぞってる感じで「その通りだな~」とは思ったけど解決策は教えてもらえず。「(抱えてる問題に関しては)個人の裁量でなんとかするしかない」とのこと。

 

なんかこの先楽しいこと起きるんかな。

いいこと起きるのかな。

精神が逝ってしまった

親からは境界性パーソナリティー障害と勝手に名付けられた

こんなことをする人は異常だ、精神異常者だと言われた

元カレにもしつこく相談事をもちかけたり

人のこと、自分のことを大切にできていない

 

今はやらかした出来事から数日経って、「やらかしてしまった」という取り返しのつかない感情と、少し問題から距離を置けた気持ちというか、やらかしすぎて遠い過去になったような感情と二分されている。そのぐらい、”やらかしてしまった”ここ数日間、時間の長さというか濃度を強く感じた。だから衝撃すぎて”もう笑うしかないよね”みたいな、そんなちょっと俯瞰して見られる自分がいる。

家の掃除もして、ごみ出しと洗濯をした。頑張ってるじゃないか。

 

時々、専門の医療機関に入院した方がいいのか、実家に帰った方がいいのかと真剣に考える。とにかく第三者が見守ってくれる環境で暮らした方が、死にたいという希死念慮に苛まれたり、自傷他害の恐れも無くなるのでは?と。

でもこの自由な1人暮らしが快適なのと、1人暮らしだからこそ自発的に友達に相談したり、カウンセリングを利用したり、自分から動こうという気持ちになることもある。

東京の冷たい空気に少し触れて、クールダウンするのもいい。24時間営業のコンビニに深夜にふらっと訪れるのも、私の中で気分が落ち着く行動だったりする。

だから人と暮らすのがいいとは思えない。

でも、見守ってくれる第三者は欲しいと思ってる。

今は、その第三者が、私の中で”神様”になっている。どこか特定の宗教を信じているわけじゃないけど、神様に祈ってる。お祈りするとすごく落ち着く。自分のやってきた罪深いこと、人を傷つけたこと、自分をも傷つけたこと、未来を信じられないこと。それらがすべて解決したように思える。

 

昔、修士課程を辞めるかどうか悩んで休学してた時、宗教に入ろうとしていた。

宗派も天理教となぜか決めていて、天理市に見学したいとずっと思っていた。

ただ、周りから「あなたは強迫的だから、宗教に入ってしまったら熱心に信仰して身を滅ぼす」と心配され、断念した経緯がある。

その時も、友達にいろんな相談に乗ってもらったけど、「もし”すべてが良くなる壺”を売りつけられたら買ってしまうと思う」といつも冗談を言っていた(でも半分本当の気持ち)。

その”宗教入りたいブーム”の第2波が、私の中で訪れた。

今はイエスキリストに関心がある。自分の好きな教会がたくさんあるから。

 

まぁ、そのブームも過ぎ去るかもしれないし、自分の中で衝動が抑えきれずハマってしまうかもしれない。それはいったん置いといて、自分を見守ってくれるちょうどいい距離感の人物が欲しい。お金を払ってもいいし、そういう集会所があったら教えてほしい。例えば有志で集まってオンラインでつながることだってできるでしょう。

オンラインとかを通じた当事者同士のつながりも、いいかもしれない。

なんとかこの生活を維持しつつ、誰かとつながりたい。

頭がおかしくなりそうだ。

 

私は”寝る”こと以外にベットを使用してはいけない、とマイルールを決めていたつもりだ。うだうだ悩んでいる時間があったら散歩しろ、勉強しろ、机に向かえ、いろんな行動をとにかく起こして、ベットで悩まない!と決めていたつもりだった。

しかし、今回は3日間ほど、食べることすら忘れて悩み続けていた。つまり発狂していたのだ。

 

怖かった。どうやってここから回復してきたのかわからないけど、今はベットから起き上がって、朝ごはんを食べて、温かいお茶を飲みながらデスクで文字を打っている。

これは3日前の自分からしたら奇跡のようだ。

 

誰か、心配してほしい。

結婚してくれないかなー東京都内でお願いしますね。

彼氏だと別れがいずれ訪れちゃうから・・・なんとかいい方法ないかなー

家政婦さんとか雇おうかな。

バイバイ

最近の出来事

 

脂質異常症と診断された

・落ち込んだ

・ダイエットしないと脳卒中脳梗塞で倒れると医者に脅かされた

コレステロールを下げる薬を出された

・身体のマヒ、脱力感は少しあり。頭痛も少しあり

・みんなに姿勢が悪いと言われる。猫背&ストレートネックらしい

・姿勢が悪いとうつ病になるのでは?と自分で思っている。

・今月金遣い荒い

・今月頑張りすぎた、疲れた

・今月は怒ってみたり、ひとと喋らなくなったり、感情が極端だった

・心理士に対して「あなたのカウンセリングは意味がない」という旨を散々言った。

でも心理士はそれを受け止めてくれたように思える。こういう関係性が治療的なのだろうか。

・痩せたい。ダイエット今日から頑張る。まず卵は一個、お菓子は控える、ヨーグルトは半分に減らす。とにかく何かを食べるときは、以前の半分~7割ぐらいにボリュームを抑える。2個食べてたのを1個。200g食べてたら100g。厚く塗りたくってたものは薄く塗る。全部感覚的でOKだけど、大体ボリュームを減らすのと、1種類1個で抑えるというのを心がけようと思う。

・昨日は脂質異常症と診断されて落ち込んでいたし、「どうせだったら食べまくって自分の身体を傷つけてやろう。もう死んでやる」ぐらいに思っていたが、普通にダイエットしたくなってきた。といっても強迫的にやるとリバウンドするので、ちょっとずつ感覚的にダイエットする。

・痩せて変わることは死ぬリスクが減るぐらい。3年後の生存率は上がる。

でも自分は死にたいっていう希死念慮が強いから、このままの生活を続けて死んじゃってもいいじゃんとも思う。死なせてくれ、死にたい、という気持ちも同時に強い。

別に痩せたところで超絶美人になるわけでもなく、ブスはブスのままで、たいして変わらない生活になると思う。性格の悪いデブから性格の悪い普通体型になるだけ。

まぁ、そっちの方がましかwwww

とりあえずゆるーっと生きてみる。あと1か月生きてみる。

 

【重要】会いたい人に会いたいと伝える

会いたい人に会いたいとLINEした。

その人とは、以前大喧嘩してから全然会っていない人だった。

でも、喧嘩の内容はさておき、なんとなくふと会いたいなと思った。

別に重い相談があるわけじゃないけど、会いたい。

向こうはどう思ってるかわからない。断られるかもしれないけど、いつかきっと会えるって直感的に信じている。

今はLINEの返信を待っている(もしかすると既読スルーで終了の可能性もあるが、そんなことはどうでもいいし、想定内である)。

とにかく会いたい人に会う、言いたいことをちゃんと素直に言う、やらなきゃいけない目の前のことをコツコツこなす。行動に起こしてから悩む(ベットの中で想像して悩まない)。小さな幸せを噛みしめて、ぎゅっと心の中で味わう。

今大切にしたいのはこれだけ。

------------

私はいつも「死にたい」と人に言って迷惑をかけるんだけども、「会いたい」とか「楽しい」とかポジティブな感情も人に伝えていきたいと思うようになった。

最近、誰かにムカついたときに「ムカつく」と正直に言ってたんだけど、それは人に自分の気持ちを素直に伝えたり、気持ちを共有したり、ムカつくところを修正してもらうよう交渉したり、相手に逆ギレされたり、言い過ぎてゴメンってこちらから謝ったり、そういう相互的・複雑なコミュニケーションを取れるようになったともいえる。

「怒り」という感情を伝えることはすごく難しいけど、上手に伝えられるようになったらきっと人として成長しているんだと思う。そして、「怒り」という感情は、いろんな他の感情よりも扱いが難しいけど、かわいい存在。大切にしたい。

自分はいつも怒りを押し殺して、我慢の限界に達したときに人との関係をバッサリ切っちゃう(例:嫌なことがあると、LINEのアカウントを退会する癖がついている)。だから、怒りを表出することって人とちゃんとつながる上で大事なことなんだと思った。

もちろん、怒りすぎると嫌われちゃうので、うまい具合に伝える絶妙なバランス感覚が必要になる。そのバランス感覚が、今やっとわかってきた気がする。うまく言葉に出せないけど。きっと成長しているんだね。

------------

昨日は論文をデータベースに保存・整理する作業を5時間かけてやった。

素晴らしい。やるじゃん。

きっとできるよ、論文。

なんでできたのか、やる気が沸き起こったのかは不明だけど、みんなから「大丈夫」って背中を押してもらえたのがよかったのかもしれない。

あと、「博士課程ってすごいね」って普通の社会人のお友達から言われて、ちょっと自信がついたのもある。もちろんお世辞なのはわかってるけど、否定的なニュアンスで言ってこなかったのが嬉しかった。

 

今日も5時間ぐらい勉強できたらいいな。というか近日中にゼミがあるのでそれまでに発表できるように資料をまとめておきたい。

頑張ろう。

------------

小さな幸せを大事にしたいって上記に書いたけど、今日は朝から幸せだった。

昨日、地元の商店街で買ったケーキ屋さんの焼き菓子と、パン屋さんで買ったマドレーヌをオーブントースターで軽く焼いて朝ごはんにした。

焼き菓子ってそのままでもおいしいけど、温めてちょっと焦げ目つけると、こんなにおいしいんだと感激した。これから焼き菓子にはまってしまいそう。

こういう風に、美味しいものを食べて元気がでるシンプルな身体になりたい。昔の私はいったんうつ状態になると、いくら美味しいご飯を食べても味がしなかったし、気分転換が上手くできなかった。今は、「ちょっと死にたいな」って思うような、うつっぽい日でも、焼き菓子を食べれば割と元通りになる気がする。

これも大人になったのかもしれない。

------------

To 落ち込みやすい自分へ

今日みたいに楽しく過ごそうね。

「楽しく1日を過ごそう」って思うようにしたら、きっと楽しく過ごせるんだと思うよ。気持ちの持ちようがすべてなら、すべてハッピーに、気を楽に生きたいね。

もう楽に生きていいんだよ。これから楽しいこと、たくさん待ってるからね。

 

 

 

あなたはチャーミングな人だから、それだけは忘れないでね。

結構しんどい。メンタルブレイクなう。

 

今日も論文が書けなかった。

論文を書こうとした途端に、悶絶するほどの腰の痛みが訪れた。

金属バットで腰を殴られているような・・・。

大きな板で体中をプレスされているような・・・

とにかく、動いていなくても、ベットにいるだけで痛みがドクドク流れてしまい、パニック状態へGO。これは頭痛verの時もあるし、痛みの部位は異なるのだがよくあることだ。「いつものパニック発作だ」と思ったけど、そうやって自分を落ち着けようと思っても痛いものは痛い。しかも、なんで論文やろうとした瞬間に痛くなるのか?自分は論文を書きたい。でも、心の底では書きたくないのだろうか?でも、それはみんなだって一緒。働きたくないけど重い腰を上げて働きに出ている。それなのに、私は「重い腰」を上げることができない。なんというか、腰が砕けるように痛くて、ちょっと動いただけでもビビビと痛みの電気信号が走ってしまう。だから、安静にするしかない。自宅のPCまで1m。だけどその1mを渡り切ることができない。

しばらくウズクマル・・・。自分が情けなくなる。ストレスなのだろうか?それとも脳の病気なのだろうか?あるいは、それらがミックスされた線維筋痛症慢性疲労症候群の類なのだろうか・・・?どうしたらいいのだろうか。

 

悲しくて涙が出てきた。

自分は生きたくて生きている。前向きに生きたい。友達や家族を大切にして幸せに生きる権利があるし、そのために今頑張って学校に通っている。

それなのに、なんで身体が暴走して痛み始めるのだろうか。大人しくしておくれ。

君さえいなければ、論文だって書けるのに・・・。

 

よく痛みに関する論文を読むと、「痛みを抱えながら生きる」や「痛みはあるものが前提として、自分が今できることをする」など、痛みが多少なりともあっても、それを上手くコントロールしたり、あるいは気を逸らして違うことをしてみたり、なんとか作業に取り組むことが重要とされているらしい。確かにそれが出来たら理想的だ。

でも私の場合は痛みから気を逸らすことができない。だって痛みが100%頭の中を占めているから。出産するお母さんが痛みから気を逸らして違うことを想像できるだろうか?それと一緒だ。命がけで痛みと闘っていて、気を逸らすだの、痛みを前提として生きるなど、そんな「小さなもの」扱いしないでおくれと思ってしまう。

 

あーー--でも痛みを言い訳にして論文書きたくないだけなのかな。だったとしたら、自分の人生どうなっちゃうんだろうか。でもそんなこと考えないで、今は一時的に疲れてるんだ、って単純に思うようにしよう。

自分は病気がちor身体が弱ってる時に、その原因を追及して「もう絶対に良くならない」って思っちゃうから、「そんな日もあるさ」程度に留めておこう。考えすぎが一番痛みを悪化させるから。

 

でもちょっと原因を考えてみたい。自分が痛みを感じる瞬間というかきっかけは、将来のことが不安になるようなときかな。就職とか、対人関係とか。自分が周囲から忘れ去られて世の中が前に進んでいる時とか、自分の成長スピードが遅くてみんなに追いつけない時とか。そういうのを目の当たりにしたとき、「もう手遅れかも」「自分は何をやってもだめだ」と思い、急に身体の調子が悪くなる時がある。

例えば、ある大学の先輩が研究のボスに「就職先用意してくださいよ~!!!(甘えた声)」とボスにお願いしていて、ボスがニコニコ頷いてコネクションを用意していたのを見てしまった時、身体全体に痛みが走って、泣いた記憶がある。

自分はその時下っ端の人間でボスの小間使いをしていたし、将来が不安定だったから、先輩の将来が確約されている姿を見て、無性に腹が立ったし羨ましいと思った。

「自分はいくらボスの前で働いても認められないんだ」と思った瞬間、もうだめと思った。

他にも以前スタッフとして関わっていたオフィスが、自分が退いた後からどんどん成長していき、楽しそうに他のスタッフとミーティングしている写真を見て、痛みが走った(今日の痛みの原因はそれ)。自分がいくら貢献したと思っていた場所でも、今は必要とされてなかったんだと思った。死にたくなった。そして将来どこで働いたらいいのか、就職先は一体どうなるのかと現実に引き戻されて、とてつもなく鬱になった。

 

そんな感じで、社会から見放されたような場面とか、将来が不安定に見える時、途端に身体が痛くなると思う。

あとは、無理に人と関わってる時。神経をすごく使うから、疲れ切って痛みが出やすい。しかも、痛みだけじゃなくて顔の半面が麻痺してしまうときもある。

こないだも顔面麻痺と頭痛が同時に起きて、脳梗塞とかそっちの病気かと思って、救急車を呼ぼうか迷ったけどなんともなかった。

 

こないだまでは、ずっと人に怒りをぶつけていたり、人間関係において”怒り”が自分のテーマになっていたけど、最近は怒る前に、人とちょっとすれ違ったり、一言挨拶をしただけでも疲れ切ってしまって、怒るどころじゃない。駅前の人混みや、商業施設での人とのすれ違いとか、店員さんとのやりとりだけでも猛烈に疲れる。美容院や整骨院とか、なじみのお店でも疲れ切ってしまう。いままであんなに怒るエネルギーがあったのに、その反動かのように今度はちょっと会話をするだけで一日の総エネルギーを消耗して、寝込んでしまう。別に学校に一日中いるわけでもないし、働いてもないのに。なんでだろうか。

 

そんな感じで不思議な感覚になって、死にたくなったり、猛烈に疲れて眠くなったり、痛みに襲われたり、何もしてないのに身体中が忙しいです。

早く楽になりたい。死ぬ方向じゃなくて、生きる方向に向かいつつ、楽になりたい。

あったかい温泉みたいな世界に行きたい。

大丈夫、自分はできる。イケる。素敵なレディーなんだよ。

今日だって痛みと闘った後、コンタクト外した自分の顔を見て、「意外とかわいいじゃん」って思ったもん。だから、かわいいんだよ。

自分の価値は自分で決める。

だいじょー--ぶ。

 

---------------

To うつ状態の自分へ

無理に論文書かなくてもいいよ。焦ると思うけど、焦って書いたところでまた断念したり、諦めちゃったら意味ないから。楽しんで、ゆっくりゆっくり歩きましょうね。

今は多分ケガしちゃってるんだと思うよ。

沢山寝て、神経を安らかに・・・。

きっと論文書けるよ。書けなくたってなんとかなるよ。どっちに転ぶか分からないけど、多分書けるよ。書くしかないって思うとプレッシャーになるから、ほどほどにね。

でもたまにはそう思ってね。ぜった~いに大丈夫よ!

あなたはチャーミングな人だから、それだけは忘れないでね。