nekohirokoroom335の日記

何がなんでも楽しく生きるって決めたのだ。

セラピストに死にたいと言えない

カウンセリングに通っているが、正直に気持ちを話せない。

死にたいと思っているけど、それを言うと「一時的に死にたい気持ちになっているのかもしれない。それを乗り越えると精神的に強くなれる」と“一過性”のものとして捉えられる。あるいは、「確かに○○といった出来事があれば、相当つらいと思う」と私の死にたくなる感情を“正常な反応”として捉えて、なだめようとする。

普通の人、いや素直な気持ちを持ち合わせてる人なら、「そっか!今はつらいけど、きっとよくなるのか☆」と前向きに思うかもしれないけど、私はそんなことは思えなかった。「あぁ、そうやって死にたいって気持ちを受け止めてくれないんだな」って思った。もしこれが、一過性のものだとして、希死念慮が高まりすぎて帰り道の電車に飛び込んだらセラピストはどんな気持ちになるだろうか。単に一過性のものだとしても、死んでしまうことだってあるし、別に「精神的に強くなりたい」とは私は一言も言っていない。セラピストが勝手にポジティブを押し付けてるだけ。気持ち悪い。

別に弱くたって、死にたくなったっていいじゃんって思う。

でも、死にたいって感情を誰かに聞いてほしいし、受け止めてほしいなって思う。

本当は死にたくないし、私だってポジティブに生きたいと本当は思う(ただ押し付けないでほしい)。

でも死にたいと思う気持ちが“一過性”のものだと言うならば、「ふざけんな」と言いたい。私がこの希死念慮にどれだけ苦しんで、どれだけ精神科に長く通って薬を飲んでいるのか。そして、その希死念慮とともに何十年間も生きてきたことを、セラピストは理解しているのか。たやすく一過性のものとして扱わないでほしい。

--

いつも面接では「最近気づいた自分の強み・長所・良い変化」を話そうと努めている。

セラピストもそれに「うんうん、いいね」とノッてくれているが、正直うんざりしている。確かにその場ではいい気分になって、「あぁ、自分は少しずつ成長しているのかもしれない」と思うのだが、自宅に帰ってから、「あぁ、死にてー」といつもの自分に戻る。例えるなら、ディズニーランド(通称「夢の国」)から帰ってきて、「あぁ、明日から仕事だー」って現実に戻る感じと似ている。

だから私のカウンセリングはディズニーランドと一緒。効果なんて一時しのぎにしかすぎない。

--

というのを来週の心理面接で話したいと思う。

やっぱりこのもやもやした感情をセラピストに直接伝えないまま中断するのは、もったいないから。

そしてその気持ちを受け止め、理解してくれる度量のあるセラピストであることを私はわかっているから、あえて言うことを選択した。

ちゃんと言いたい。私は死にたいときもいっぱいあるんだって。