nekohirokoroom335の日記

何がなんでも楽しく生きるって決めたのだ。

時計が壊れたその日、自分の生き方が変わった

デジタル壁時計が壊れた。正確には、中に仕込む乾電池が切れてしまい、数字の表記が消えて何も見えなくなった。

それは、私の誕生日の翌日に起こった出来事だった。

これは何かの暗示だと思ってしまった。「数字に囚われるな」というメッセージだと思った。私は強迫的な性格で、今在籍している大学の研究も統計学をバリバリ使っているし、数字を用いたデータ分析が得意だ。目に見える、答えのある世界にいると安心する。

だが、そのデータ分析だけでは解決できない出来事をアラサーになって数多く体験するようになった。「なんで大切な人が目の前から消えていってしまったんだろう?」「なんでいつもこんなことしちゃうんだろう?」「自分はこれからどうなるんだろう?」と。目に見えない、答えのない戸惑いや人生の難題にぶつかるようになった。

そして、アラサーになってから身体の変化も感じ、生理が2、3か月来ないことなんて日常的になってしまった。

でもそんなことは、統計学では分からない、説明しようのない身体の感覚なのだ。

だから、もう数字に囚われるのはやめにしようと思った。五感を大事にして、心地よいものに触れる、嫌な予感のするものは関わらない、楽しいと思うことを増やしていく。そういうことを心がけるようにした。

私は万年ダイエッターで、常に「痩せたい!」と思ってあれこれ頑張ってしまう。例えば1日1万歩は毎日必ず歩こう、食べたものは毎回必ず記録しよう、体重計は必ず乗ろうと。アップルウォッチが欲しくてしょうがなかった時期もある(ヘルスケア機能が充実しているため)。でも、そうやってデータ化してたけど、なぜか時計が壊れたその日から「もういいや、やめよ」と思って、すべてのタスクを消してしまった。生理不順の原因を把握するために使っていた基礎体温計も手放した。

これはいいのか悪いのか、わからない。毎日体重計に乗らないと気がゆるんでお菓子ばっかり食べちゃうのかもしれない。急に太ったらどうしようと思う。でも、どうせ体重計に毎日乗っていても、ストレスが増えると関係なく食べるんだから、乗っても乗らなくても大差ないな、と思った。それよりも、体重計を毎日みて「あぁ、痩せない」「なんてデブなの!」と罪悪感に浸ることの方がストレスだと感じた。

基礎体温計もそう。毎日体温を測って、生理がこないことを確認すると落ち込んでしまう。体温計グラフを見るとガッタガタで、ホルモンバランスが乱れていると痛感するんだけど、それもまたストレス。

そうやって、目に見える数字を現実で表記されると、心がしんどくなるのだ。

だから、もうやめた。

 

心地よいことしかしない。

心地よいことしかしない。

心地よいことしかしない。

 

私はそう決めた。

きっとうまくいくでしょ。

そんな気がする。