あのさぁね
焼肉デート楽しかったんだよね
この人となら、支え合ったり笑い合ったりできそうだなって思った
気のせいかな、恋の魔法にかかってしまったんだろうか
整体師に言われたこと「死にたいと言われて大丈夫な相手を探しているのかと思った」
そんなわけない
もう二度といいたくない
楽しいねって言って一緒に笑い合いたい
死にたいとかネガティブなエネルギーに付き合う時間を費やしたくないと思った
あとね、akaneさんのyoutubeで
ガチャを引く感覚でおみくじ引いて、大吉出ないとすねちゃってたんだけど
それって神様にゆだねすぎてる、依存していると思ったとのこと
そして、毎日大吉が出たハッピーな気持ちで過ごしていれば、そういうコントロールでいない外的な要因によって一喜一憂しないと言っていた
その通り、カウンセリングもそうだと思った
自分はカウンセラーに「どうしたら死にたいのが消えるか」とアドバイスを求めるが、死にたいのはそもそも消えない。あぁ、疲れたぐらいのテンションで出てくる。
その時に「もうちょっと言えますか?」とクエリーを行うのだ。
そうすると、「いやぁ、レポートが書けなくて参ってるんだよぉ。3人もあるのぉ」とかもう1人の死にたい自分がつぶやいて、内省できる。もう少し死にたいの正体を明らかにすることができる。自分は死にたい(Q)の状態。言語化出来たら、心の暗闇を照らすことができるのではないか。例えば「5年後何している?」って時に「とりあえず生きてるけど何している変わらない」って答えるんじゃなくて、「スクールカウンセラー週1、クリニック週1、某派遣会社で知能検査週2」とかって言ったら、もっと具体的になって、明るい未来が浮かぶんじゃなかろうか。今手元、足元で頑張っていることを根を張るように着実に積み重ねていけば絶対に芽が出る。自分は今、派遣会社週2、クリニック週1、在宅勤務週1で週4勤務だ。これで月額11万円。生きていけるのかな
死にたいと思う量(レベル)は相対的に変わらないと思っていた。
ただ、りゅうちぇるの死を見ていて、本当に死んじゃう人は死んじゃうし、生きていたいと思う人は生きていくんだなぁと思った。その2極しかない気がする。
死にたいといいつつカウンセリングで死にたいと言えている自分は、生きている気がする。これだけ死にたいと言い続けて、死なずに10年間精神科通院とカウンセリングをしているんだったら、もうそろそろハッピーな方に入ったらどうか。
自分は現実的に働けていない。身体も弱い。カウンセラーとして働けるんだろうか。
現実感を求めると苦しくなってしまう。もうちょっとお茶を飲んで一息みたいな、そういうホッとするような現実感があるといいね。
自分のできていないところ、世間よりも成長が遅れているところばかりに目を向けるんじゃなくて、出来ているところ、成長しているところに芽を向けたほうがいい。
s君もそこは理解しているんじゃないだろうか。。。
書いていて涙が出てきてしまった。まとまりがない。
男にうつつを抜かされていて、足元がふらついている。
もっと楽しいこと、自分の好きなことをしたい。
でも、十分できている。
大丈夫だ。
今一瞬s君のこと考えてた。ポジティブに生きていけるだろうか。
死にたいと思わずにいられるんだろうか。
この子と楽しいことしたいなぁって思った。
現実の「どうしよう、あれもこれも」「精神科に通っていること理解されていない」「働けてないこと理解されてない」「死にたくなっちゃうこと理解されてない」等といった不安が押し寄せてきて急に怖くなってきた。他人に評価されるのが一番怖い。
今自分自身を刺激せず、特に他者に依存せずに、なんとかやれてきている。
それを刺激されたらどうだろうか。
急に現れてきた男に身を委ねていいのか。
今回身体を許さなかっただけいいなと思ったけど、怖い。
とても怖い。
いいんだろうか。
でもそれを抜きにして、この人を幸せにしてあげたいなと思った。
なんでかよく分からないけど・・・。
寂しさからくる”しょうがなく付き合ってやるか”じゃなくて、なんとなくハグしてあげたくなる感じ。まぁいっか。他人にどう思われても好きに生きてこー
ただ人に死にたい、とか言って困惑させることや怒り狂うみたいなことはやめよう。
いつもニコニコしていたいなと思う。s君とならそれができる。